江田島再訪の旅関連レポート

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私の江田島ー40年目の春

海自幹部候補生学校  第18期
元3分隊 呉特派員・松ちゃん



幹部候補生学校を巣立つ卒業生



第一術科学校学生館と見送り行事参加の人々

今春、幹部候補生学校第18期生は入校40周年を迎え、9月14〜15日に『とわ会、江田島再訪の旅』が計画されています。

多くの懐かしい同期の皆さんに再会できるのを今日か明日かと待ちわびている今日この頃です。


呉特派員は、3月21日挙行された一般幹部候補生第57期生(39期後輩)の卒業式並びに4月7日の第一術科学校観桜会に出席しました。

その時の写真から、入校40年目の江田島の春を紹介します。


尚、候補生学校卒業式には同期の、谷、梅野、小西、西村君が出席していました。それぞれ忙しそうに案内人を務めておりました。


表桟橋へ向かう卒業生



表桟橋

39年前の卒業式前日付で退職した私にとっては、初めての卒業式出席でした。呉に住んで32年にもなり、江田島を訪れたことは数多くありました。

過去、同期の皆さんに卒業式見学に誘われたことも幾度もありましたが、卒業式には出かけることができませんでした。気持ちの踏ん切りがつかなかったためです。


この度、広島防大同窓会会長(2月3日就任)として卒業式に出席することになりました。大講堂内でのピーンと張り詰めた空気のなかで、厳粛な式典が粛々と執り行われました。

卒業生の晴れがましい姿を垣間見、家族の嬉しそうな顔々を拝見しました。
きっと39年前の卒業式もこのように執り行われたのだろうと・・・


祝賀飛行



卒業生が乗艦した練習艦隊が江田内を出航

石作りの大講堂内で着席し卒業式が進行して行くと、40年前に入校してからの江田島での1年間が走馬灯のように駆け巡りました。

そうだ私は卒業式どころか、入校式本番にも出席していなかったのです。長い間忘れていたことを思い出しました。


大講堂での入校式に向かう直前の課業整列時(?)貧血でぶっ倒れたのだった。

急遽分隊長命令で大講堂での入校式式典は欠席し、分隊自習室で休んでいたのだった。

その数日後の分隊点検時にまたぶっ倒れた。伍長の中島君には随分迷惑をかけた。・・・・


玄関先の石畳が左右に広がっていました



幹部候補生学校学生館玄関に
掲げてある「とわ会寄贈の書額」

そもそも、防大卒業前の1月か2月の月例パレード時、長い「整列休め」でM1ライフルと共に倒れ、列外に運びだされた。

また卒業式予行では、候補生任命式(?)時も倒れていた。

・・・・その後江田島病院・中国労災病院を受診し、推間板ヘルニアと診断された。



それから長い長い
1年間を分隊長はじめ分隊の皆さんに迷惑をかけながら、辛くもありましたが、候補生生活をエンジョイし、楽しむことができました。

あの時の1年かけて出した結論を後悔はしていません。いまでもあれで良かったのだと思っています。だから現在の自分があるのだと。


江田島を訪れ大講堂の前にくるとなぜか何時も足がすくむ。

「何人も寄せ付けないぞ!」と言わんばかりに、扉を硬く閉ざした大講堂。

私にとって大講堂は気高く崇高でありながら、足を踏み入れられないなにものかが住み着いているように思えた。

この次訪れるであろう
9月15日には暖かく迎えてくれるだろうか?

少し不安だが、同期の皆さんと共に晴れがましく江田島を再訪したい。

        呉特派員


候補生学校中庭のソメイヨシノ



卒業式を終えた大講堂


『同期の桜』歌のモデルにもなった候補生学校中庭のソメイヨシノ。


樹齢約100年、高さ10メートル、幹周り3.6メートル。

数年前から花数が減り、枯れ枝が目立ち始めたため、今年2月樹勢回復治療が施されていた。

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