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早速に記念撮影
幹部候補生学校の入口には歓迎の掲示
江田島訪問記 我々の心のふるさと―江田島! とわ会が、卒業・任官25周年で「同期の団結・友情の証を候校に置きいつか江田島に集おう、併せて後輩候補生らの同期の団結強化の一助になれば」と柏木白光女史が大講堂で三日間かけて揮毫の扁額を寄贈しましたが(注記)、入校・入隊40周年で夢がその叶い同期集って江田島再訪ができ、誠に喜ばしいことでした。
幹部候補生学校長のブリーフィング
また、現役には多大のお世話をいただき感謝感謝ですが、後日、候校・1術校両校長から「“同期の絆”それがベースの“先輩・後輩の絆”の大切さを百万言費やして説明するより、今回の18期期生会の訪問を看るだけで候補生や副官等若い幹部が悟ってくれた(昼食会に出てくれた候補生等に聞き取りした結果)」との言葉を頂きましたことも報告しておきます。
緊張気味の候校長
1術校長
いささかハードなスケジュールでしたが、これも猛暑と合わせ40年前の青春を甦らせ、懐かしさとともに明日への活力を復活させ得たものと確信しています。同期諸兄まだまだ元気でがんばりましょう!!
注記1:この書詞の最後は“いつか会いまみえん この天地にて”ですが、当初女史と案を練った時は“この江田島にて”です。 これを強く主張したのですが、女史が相談した京都の大徳寺住職や作詞家星野哲郎氏の「寄贈の趣旨や掲額先が明確で、これはまさに江田島を指すことは明白。詞としては“この天地にて”の方が良い。」との意見で、また、趣旨は伝え書詞は任すとして揮毫をお願いしたこともあり、結果こうなったものです。 谷委員
ブリーフィングのスライド
寄贈した扁額
一番右が白光女史が揮毫した門標
注記2:ついでに、候校長の歴代門標の説明にも出てこなかったエピソードを一つ。 この書詞を練るため桜満開の江田島を白畑教育部長(当時)と案内した際、候校資料室で歴代門標を見た中に伊勢神宮遷宮時の旧宮の杉材に書かれたものがありました。 丁度遷宮の年でしたので「その杉板が得られたら候校の門標を書くか?」「えぇ、書きましょう」ということになり、直ぐに宮内庁にお願いし海自として7枚の杉板を譲ってもらいました。 その内の1枚に白光女史が揮毫したのが平成8年設置の現門標です。
記念撮影が行われた正面玄関
正面玄関で記念撮影
構内見学へ
候校校長室前
校長室にて
東郷元帥肖像画
元2分隊の自習室で記念撮影
何がおかしいのかな?
元1分隊の自習室で
候校資料室 お〜い 見つかったかな???
候校資料室
候補生の訓練風景
親子の出会いもありました
朝食へ 江田島訪問その2へ