目次
前ページ
10分の1戦艦「大和」
大和ミュージアム入口
広島県呉市にある大和ミュージアム(呉市海事歴史科学館)は、日本近代化の一翼をになった呉の歴史と、その近代化の礎となった造船、鉄鋼をはじめとした各種の「科学技術」を、先人の努力や当時の生活・文化に触れながら紹介しています。
平成17年4月23日にオープンした新しい施設ですが、開館して385日目の、今年7月1日には来館者200万を達成するなど、大変な人気のようです。 来館者数は当初目標の4倍以上に達しているとか! 風来坊も、呉市は家内の実家があることから時々訪問するのですが、大和ミュージアムは今回やっと訪問することができました。
呉市には、明治22年に海軍の呉鎮守府が、また明治36年には呉海軍工廠が設置されました。 そして、戦前は、戦艦「大和」を建造した東洋一の軍港、日本一の海軍工廠の町として栄えました。 また、戦後においても、世界最大のタンカーを数多く建造するなど、わが国が世界一の造船国へ発展する一翼を担うなど、臨海工業都市として発展しています。
大和ミュージアムのシンボルは、10分の1戦艦「大和」です。 戦艦「大和」は、昭和16年(1941年)12月、呉海軍工廠(海軍直轄の工場)で、極秘裏に建造された世界最大の戦艦です。 しかし昭和20年(1945年)4月7日、沖縄特攻作戦に向かう途上、米艦載機の攻撃を受け沈没し、乗員3332名のうち、3056名が大和と運命を共にしました。
進水式の準備完了した10分1戦艦「大和}
10分の1戦艦「大和」は、設計図や写真をもとに、可能な限り詳細に再現されたものだそうです。 10分の1戦艦「大和」は、建造する過程の平成16年の2月1日に、通常の船を建造する場合と同様の進水式が行われています。 10分の1戦艦「大和」といっても、全長が26.3mもあり、漁船よりも遙かに大きいですから、当然の儀式かもしれません。
「大和」の命名書
進水式の写真については、呉在住の友人「松ちゃん」からお借りしました。 「散策スポット」の「神戸ルミナリエ」は「松チャン」のレポートです。
見事に進水する10分の1戦艦「大和」
大型資料展示室
特殊潜航艇「海龍」
10分の1戦艦「大和」が展示されている隣りの、大型資料展示室には零式艦上戦闘機、人間魚雷「回天」、特殊潜航艇「海龍」などが展示されています。 戦艦「大和」とは異なり、これらはすべて本物です。 特殊潜航艇「海龍」後期量産型 「海龍」は世界初の有翼潜水艇です。 水中を飛行機のように自由に潜行・浮上することを目指して開発されたもので、操縦装置も飛行機と同じものを使用していました。
大和ミュージアムに展示されている「海龍」は、昭和20年(1945年)に、静岡県網代湾で艇尾部にアメリカ海軍航空機のロケット弾(不発弾)の直撃を受けて沈没し、昭和53年(1978年)5月に引き揚げられたものです。 全長17.28メートル、水中速力9.8ノット(時速約18km)で乗員は2名です。
特攻兵器「回天」
栄三一甲型エンジン
特攻兵器「回天」十型 「回天」は、人間が魚雷を操縦しながら、目標とする艦艇に体当たりする特攻兵器で、「人間魚雷」とも呼ばれています。 いくつかの種類がありますが、実戦に投入されたのは一型のみです。 大和ミュージアムに展示されている「回天」十型は、潜水艦用の電気推進魚雷である「九二式魚雷」を利用し、本土決戦の近距離用として開発されたものです。
栄三一甲型エンジン このエンジンの形状は、航空機用の空冷エンジンに見られる独特の形式で、クランクシャフトを中心に各気筒を放射状に配置していることから「星形エンジン」と呼ばれています。 「栄」エンジンは、中島飛行機において最も多く生産されたもので、零式艦上戦闘機を始めとそして日本陸海軍の第一線機に搭載されました。
零式艦上戦闘機62型
零式艦上戦闘機62型 昭和15年(1940年)に海軍の制式機として採用された「零式艦上戦闘機」は、その機動性、装備、航続距離において当時世界に類を見ないもので、太平洋戦争などで活躍しました。 しかし、戦線不利となり、昭和19年(1944年)年10月に「神風特別攻撃隊」が編成されてからは、爆弾と共に飛行機ごと体当たりする攻撃法によって若く尊い命が数多く失われました。
大和ミュージアムに展示されている機体は、昭和20年(1945年)8月6日にエンジントラブルにより琵琶湖に不時着水し、昭和53年(1978年)1月に引き揚げられたものです。 大和ミュージアムの館内ではフラッシュを使用した撮影は禁止されておりますので、「呉の歴史」「船をつくる技術」「未来へ」などの展示室の紹介は省略します。
零式艦上戦闘機62型・操縦席
アクセス JR呉線呉駅から徒歩5分 入場料 大人500円 関連するホームページ 大和ミュージアム 風来坊