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この夏は観測史上最高、最長のものとなったが、夏休みに入ってすぐ、飼い主一家(犬、猫、インコ、人間)揃って南方へ大移動をした。安芸専用車で四国まで帰省したのだが、途中、玉野のO氏の所に寄り、久しぶりに、安芸は仲間たちとの再会を果した。
猛暑の中、五頭の犬達は元気だったが、グレートマウンテンピレネーズの「テリー」だけは、以前よりやつれ、足を引きずって歩いていた。もう十二歳の老犬であるが、最近甲状腺ホルモンに異状が見つかり足腰が急に弱くなったそうだ。
ひとつ年上の「八郎」は、正月に岡山の病院で大手術をし、三月に会った時は弱々しかったが、今はすっかり回復している。約七キロもある脾臓癌を摘出して少しスリムになったが、それでも六十キロはあるという。
三頭のピレネーズのうち最も若い「もん吉」は一番元気で、相変わらずやきもち焼きであり、安芸といい勝負である。
シーズの「ジョリー」と「金太郎」は、他の三頭と好対照で小さくて可愛い。
ジョリーは、O家に来た時から目が見えなかったそうで、この二頭が揃ってサングラスを掛けて写っている写真は実に愛らしく傑作である。
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屋外は三十度を越す暑さであるが、犬たちは狭いながらもクーラーや扇風機の効いた写真店内で快適に過ごしていた。店の裏に屋根付でかなり広い庭があり、多少の運動が出来るようになっている。
その夜は、安芸だけこの裏庭にケージを据え付けて厄介になることにした。持参してきた犬用蚊取マットのほか、O氏があちこちに蚊取り線香と扇風機を設置してくれ、酷暑対策は万全である。翌朝、店に行って見ると安芸は広い裏庭で元気良く走り回って、朝飯もぺろりと平らげ、排便も快調だった。
飼い主一行はO氏夫妻と犬達に別れを告げ、その日の昼前、風光明媚な備讃の瀬戸を眺めながら瀬戸内海大橋を渡った。
不幸にして、四国での一週間はこの夏で最も暑い時期と重なった。飼い主の滞在したマンションは、松山で一番泉質が良いといわれる温泉場の真ん前、冬は日当たりも良く申し分ないのだが、この夏は過酷であった。
安芸は年末や五月の連休の際は駐車場に停めた専用車のケージの中でおとなしくしていたが、この暑さで日陰のない駐車場で日中居ると熱射病になること間違いない。猫とインコは、いつものように室内で良いが、安芸のような大型犬はそうはいかない。
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念のためマンションの使用規則を調べたら、「他の所有者に迷惑または危害を加える恐れのある動物を飼育すること」を禁止しているが、但し書きがあって、「専有部分のみで飼育できる小動物を除く」とある。
そこで、一計を案じ、飼育は禁止しているが連れ込みは禁止していないと規則を解釈し、朝晩、温泉場の駐車場に停めた車で餌をやることとし、日中は自室前の廊下(共有部分)にケージを置き、これに収容することにした。
九階の廊下は風が吹き抜け、結構涼しいのである。
実直な管理人氏は、当初難色を示したものの、この作戦は概ねうまくいった。隣の主人は、子供の頃大型犬に噛まれたというトラウマから大の犬嫌いだそうだが、安芸が奥さんや子供たちによく懐くので文句は出なかった。
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安芸は、今回は珍しく自分の置かれている状況を十分認識していた。そして、日頃の訓練の成果を遺憾なく発揮した。関東の自宅では、親の仇のように人や犬に吠えまくっているのに、マンションの中では一度も吠えなかった。
朝晩できるだけ人に会わない時間帯に出入りしたが、安芸はエレベーターの中で令なく「フセ」の姿勢をとり、偶々人に出くわしても尻尾を振って恭順の態度を表すので、相手が思わず「可愛い!」と叫んでしまうほどであった。
大体、松山の人は鷹揚で、マンションの中で安芸と出くわしてもすぐ咎めたり、不快感を表すことはなかった。
近所には、四国八十八か所の札所になっている寺が三つある。炎天下、白装束に身を固めた人に良く出会うが、いわばこの辺りは遍路道である。昔から、よそ者に対しては、親切なのだろうか。
安芸の散歩で、この寺へお参りする道すがら、田んぼに囲まれて比較的新しい句碑が立っていた。
曰く、「この里に 遍路の寺と 温泉と」
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お盆のUターンラッシュを避けるため早めに帰宅する心算が、結局一日遅れとなり、十七時間も掛かって家に着いた。人はくたくたに疲れ果て、回復に一,二日かかったが、安芸は全く平気で、帰宅するなり相変わらず吠えまくっている。
この一週間立場をわきまえ、規律正しく振舞ってきた反動か、相当のストレスであったに違いない。
最近は、社会情勢の変化を受けて、ペット許可のマンションが増えているという。無理な解釈を通すよりも、人が作った規則なんか遠慮なく変えればいいのだ。今回の安芸の行動を見て、半世紀もの間憲法違反の組織といわれながら、肩身の狭い思いをしながら黙々と耐えてきた自衛隊の諸君のことを思った。
帰宅した翌日に連続真夏日の記録更新がストップし、朝晩めっきり秋らしくなった。この年の猛暑の中での家族大移動は、忘れられないものになるだろう。久しぶりの雨が上がった夜、遠く虫の音を聞きながら、連日暑さに喘いだ四国の里に思いを馳せた。
稲の青輝く道に夏遍路 ふるお
(第十一回了)
三浦の羊飼い
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夏休みが終わっても、毎日仕事に出るのが嫌になるようなしつこい残暑が続いた。そんな頃、飼い主の近所の家が二軒立て続けに泥棒に入られた。泥棒稼業にはこの暑さもあまり関係ないらしい。
いずれも家人は住んでいない、飼い主の一軒おいて隣の家である。そのうちのA宅は、この正月高齢の主人が亡くなり飼い主も葬儀に出たので覚えているが、もう一軒のB宅の方は住んでいる人を見たことがないので、かなり前から空き家になっているみたいだ。いずれも文字通り空き巣に入られたわけで、隣の奥さんの話と自治会防犯部のチラシを総合すると、A宅は明け方近く、B宅は夕方の薄暗い時に狙われたらしい。
A宅の場合は、同じ団地の他の地区にも忍び込み事件が二件発生した。手口は、留守中の雨戸をこじ開け未開錠のサッシュ窓を開けて進入したらしい。
B宅の場合は、雨戸をこじ開けたところで断念し近くに停めていた車で逃走したらしい。
この事件が発生した当時、安芸二号は自宅の犬舎に居たが特異な反応はしなかったようである。実は、この時期飼い主と安芸は団地の自治会の呼びかけに応じて防犯パトロールに参加していたのだ。
その案内と参加者の募集は梅雨の頃、今年度自治会組織の中に新設された防犯部から「防犯パトロールへ参加のお願い」と題して回覧板で来た。それまで、自治会役員と幹事で続けていた夜間の防犯パトロールの輪を広げるために、自治会会員に広く参加を呼びかけたのである。
この参加というのは、毎週火曜日の夜間みんなで固まって歩くだけではなく、昼間犬の散歩やウォーキング等の時や買い物の往復時に「防犯パトロール」と書いた腕章をつけて歩くだけでも十分防犯効果が期待できるという事で呼びかけられたのだ。
普段から、安芸がうるさく吠えまくり近所に肩身の狭い思いをしていた飼い主は、カミサンの強い圧力もあり、早速フリータイムのパトロールに応募した。もともと安芸を引き取ることにしたのは、自宅が二回も空き巣に入られたということも大きな理由であった。申し込んでから一ヶ月近くたって犬の散歩仲間が腕章を持ってきた。参加者が多すぎて、腕章が足らなくなり製造に時間が掛かったそうだ。
飼い主は、翌日から安芸の散歩の時この腕章をつけて歩いた。最初はなんとなく気恥づかしかったが、直ぐ慣れた。よく見れば、顔見知りの散歩仲間もみな腕章をつけて歩いている。しかし、人も犬もやっていることはいつもと同じである。ただ以前よりも、出会う人と挨拶することが多くなったようである。これまで出会った人で犬を見て怖がったり、胡散臭そうな表情だった人が、向こうから挨拶したりする。人通りが少ない夜間などは、特にそうだ。
飼い主も、犬はともかくこれまで出会う人には無関心だったが、注意するようになった。米国が、例の九・一一以降テロ対策の一環として、自らの手で自らを守るため、一般市民を啓蒙して相互に監視する態勢を作ったようなことをTVで見たことがある。三浦半島の団地社会でまさにそのような雰囲気が生じつつあるように見えた。尤も警察犬訓練士の同人誌によるともっと本格的な「わんわんパトロール隊」が全国各地で編成され、警察と一体で防犯活動を行っているようであるが。
そんな矢先に、前述の忍び込み事件が連続発生した。以前から、自治会の役員組長の門前に「防犯パトロール実施中!」と書いた黄色いプラカードを掲示していたが、これが外部からの不審者に対し抑止効果があると考え、自治会防犯部は、急遽緊急連絡のチラシを配って、腕章をつけることの徹底を呼びかけた。
「抑止の理論」というのがあるそうだ。ある行動をとる事によって蒙る損害の方が利益よりも明らかに大きいか、あるいは損害そのものが予測困難な場合、その行動は抑制され、抑止は有効に作用する。ただし、この理論が成立するためには行動者がその損害の不利を、正しく認識することが不可欠の条件である。
この場合、泥棒が十分な下見により不在が明らかな、A宅の門前に掛かっている「プラカード」を見て、防犯パトロールに発見されにくい犯行時間帯を選択して決行に及ぶかも知れない。あるいは、この数日來犬と共に旅行中と思われる飼い主宅の金品を狙ってあえて犯行に及ぶかも分からない。
しかし、一般にA宅よりも飼い主宅を選ぶ確率のほうが低いであろう。更に、下見の際、邸内を放し飼いで徘徊し、吠えまくっているシェパードを見たとしたら、その確率は明らかに低くなるだろう。
また、泥棒氏が買い主の二軒隣にあるA氏宅を、シェパードに発見されるリスクを負ってまで選定するか、これは分からない。たとえその場合、A氏宅に侵入した賊をシェパードが首尾よく発見できるか否かも分からない。
しかし、安芸二号が将来どの道を歩むにせよ、飼い主と共にまだまだ訓練が必要なことだけは明らかである。肝心の当事者は、まったく反省の気配もなく、苦しかった夏にやっと別れを告げて嬉々として、五月末の左足負傷以来三ヶ月間持てあました体で庭先を駆け回っている。
散歩道のマンジュシャゲも咲き誇り、いよいよ訓練の秋到来である。(第十二回了)
三浦の羊飼い
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本当は、猛暑の夏、北に向かうのが理想的なのだが、秋風の立ち始めた九月中旬、飼い主一家揃って五泊六日の北海道旅行に出た。安芸にとって何もかも初めての北の旅は、大変印象的だったに違いない。
夫婦で三日以上家を空ける場合は、安芸を含め猫、インコを同伴し専用車で行くのが原則である。一日目の夕刻、茨城県の大洗から苫小牧行きのフェリーに乗ったのだが、これが誤算だった。車は最下層の車両甲板に積み込まれたが、下船直前まで車に行くことはできないというのである。
更に、飼い主の経験から車両甲板の下は当然船底だと思っていたが、これが機関室である。夜は冷え込んで寒いだろうと心配していたが、その逆で暑いは、ウルサイは、空気は悪いは、で動物たちには最悪の環境だった。
何とか係りの人に頼み込んで、寝る前に様子を見に行ったが、カミサンは心配でよく眠れなかったようで、朝にはてっきり死んでいるのではないかと思ったらしい。しかし、この夏の猛暑を南国伊予で生き抜いただけあって、安芸はケロッとしていた。が、さすがに食欲はなく、排便も翌日昼過ぎ下船するまで我慢していた。
翌日の朝食後尻屋崎沖を航行中、左舷の陸岸遠く大湊の釜伏山を懐かしく眺めていたら、携帯電話が鳴った。玉野のO氏からだった。前夜遅く、安芸の友達、愛犬テリーが亡くなったという。この一週間容態が悪くなり頻繁に連絡が入っていたが、昨夜少し餌を食べてから眠るように息を引き取ったそうである。
この夏玉野で会ったときは、痛々しく足を引きずって歩いていたが、最後に苦しまなかったのが、せめてもの慰めである。その日の朝は秋らしい清澄な海と空に恵まれたが、北の旅の第一夜は悲しい報せで明けた。
上陸した苫小牧も絶好の秋晴れだが、冷気はさすがに北国である。高速道路を一気に走り、夕刻小樽に着いた。飼い主にとって、何度もたち寄った思い出の港町である。青年時代、明け方近く積丹半島の灯台を回って初めて海から見た雪の小樽の光景は、今も鮮やかに覚えている。船を見学に来た女学生に豪州土産のコアラベアの縫ぐるみを送った淡い記憶も、今はもうカミサン公認の語り草となっている。
北海道の第一夜は、地元の人しか行かない横丁の居酒屋で、秋刀魚と螺の刺身で旧友と杯を交わして始まった。十年ぶりの突然の訪問にもかかわらず旧友は馴染みの店を何軒も梯子し、歓待をしてくれた。安芸もこの夜はホテルの駐車場で快適に眠れたようである。
次の日も絵に描いたような秋晴れだった。小樽から余市を通り、一路南下し、倶知安の町並みを抜け内浦湾側の長万部に出た。そこから渡島半島を横断して日本海に近い北桧山というところに着いた。カミサンの故郷で今回の旅の目的地である。その日の夜は、地元の秋祭りの本番、各地区から山車が出て、踊り笛太鼓を競い合うのだが、二年前と同様フィナーレは壮観だった。
翌日、日本海側の瀬棚に出て、周近の丘陵地帯をのんびりと走った。車窓にはいかにも北海道らしい雄大で長閑な風景が展開して来た。所々に牧場があるが、なぜか家畜の姿は見えない。
突然後部のケージに居る安芸が激しく吠え出した。見ると柵の向こうに牛が二、三頭秋の陽を浴びている。安芸は生まれて初めて牛を見たに違いない。
珍しいのか怖いのか、盛んに吠えまくっているのだが、耳にBSE対策用の大きいタグを着けた黒い牛が怪訝な顔をして悠然としている。そのうち、一番遠くに居たのもこちらにやって来て安芸を興味深そうに見ている。おそらく、牛たちもめったにシェパードを見ることはないのだろう。もともとシェパードとは「羊飼い」の意味で、ドイツの山岳地方の牧羊犬をもとに、十九世紀末に軍隊で活用できる犬を目指してつくられたそうである。
北桧山から再び内浦湾の八雲に出て、森という所から駒が岳を左に見て函館に入り、その日は湯の川温泉に泊まった。夕方、近くの啄木記念小公園に行ってみる。前からあった石川啄木の銅像の隣に、哀愁テーマパーク「啄木浪漫館」というのが建っていて、実像ロボットとワイドスクリーンの映像で函館時代の啄木を再現していた。大森浜と呼ばれる海岸で海をじっと見つめて座っている啄木の像を見て、安芸は盛んに吠えた。安芸にとっては、牧場の牛も啄木もはじめて見る不審な者に過ぎないのだろう。
啄木は二十六歳で没するが、その生涯は浪漫とか哀愁という表現よりはむしろ不運、悲惨である。病気の上、父の失職で一家の生計は啄木一人にのしかかり、知人友人に借金を重ね、死にいたるまで貧窮の生活を続ける。この間、詩集『あこがれ』を刊行、妻節子との結婚、長女の誕生、父の家出、代用教員の解雇等があり函館に職を得て妻子、母を迎える。しかし、それもつかの間で明治四十年の函館大火に会い、以後一家は離散し札幌、小樽、釧路と北海道を流浪する。
四十三年、歌集『一握の砂』を発行、歌人としての地位を確立するが病状が悪化し、四十五年肺結核で永眠する。この直前、生まれて直ぐの長男を亡くし、母も肺結核で死去している。更に、啄木の死後一年で妻節子が肺結核で死去、その後長女京子は行年二十四歳、次女房江は十九歳で死亡する。
啄木の歌は、その生涯を象徴するような暗い、寂しい歌が多いが、死後発見されたという次の歌は壮絶極まりない。
『眼閉づれど、心にうかぶ何もなし。さびしくも、また、眼をあけるかな。』
翌日この旅で初めて冷たい雨に見舞われた朝、下北半島に渡るフェリーに乗り、函館を後にした。今度は乗船前に「ペット乗車中」の札を貰い特別良い場所を確保できたので、安芸にとって快適な船旅となった。(第十三回了)
三浦の羊飼い
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例年霧が峰行は、十一月中旬の一番気候の良い時期となるが、今年は気温差が大きかっただけに、山頂付近の紅葉はことのほか見事であった。たまたま九州から来ていて同行することになった友人夫婦は、素晴しい高原の秋に車中歓声を上げた。
毎年秋、長野県諏訪市霧が峰高原で行われる「日本訓練チャンピオン決定競技会」。日本警察犬協会が主催する全国レベルのこの大会に、今年は三日間で約九百七十頭の犬が参加した。
生まれ故郷の吉浦からも、安芸の兄弟になる松之助ほか五頭のシェパードが参加したが、安芸は訓練不足で今回も見学のみである。しかし、この時ばかりは、年に一度吉浦の訓練士達に安芸の成長振りを見てもらう絶好の機会となる。
朝十時頃自宅を出て八王子ICから中央高速に乗り、諏訪ICで降りて白樺湖経由霧が峰高原の会場に着いたのは五時少し前であった。早速、吉浦組の宿舎を訪ね訓練士や犬たちに会う。
松之助とは一年半ぶりの再会だったが、顔は安芸そっくりである。つい最近、吉浦に行った時は警戒任務についており、犬舎には居なかった。背丈は雌の安芸と変わらないぐらいであるが、スリムで引き締まっている。兄弟四頭の中で初めて警戒の部に出場する等、警備犬としての訓練は順調に進んでいるようである。
二頭並んで座ると松之助は毎日の訓練で鍛えられているだけに精悍に見えるが、安芸は毅然としたところがなく体型もやや太めである。そういえば、この一ヶ月カミサンがやせていると貧相に見えるといって盛んに餌を奮発していた。
その日吉浦のシェパードは、警戒競技に三頭、臭気選別に一頭、足跡追求に二頭出場したが、昨年と同様全頭予選落ちした。警戒の部に初出場した松之助も肝心のところで咆哮すべき一声が出ないで減点されたという。やっぱり、いくら訓練を積んでもこの雰囲気の中ではアガルらしい。
全国から千頭近い犬が集まるこの大会は一種異様な雰囲気をかもし出している。九州の友人もかなりの歳になる柴犬を飼っているが、ほとんどがシェパードである会場の犬の数に圧倒されていた。しかも、それらの犬が皆良く訓練されていて、安芸のようにやたらに吠えたりしないで、斎整と自分の順番を待っているのである。見学者の立場の安芸は最初車の中で唸っていたが、この雰囲気に呑まれたのか、そのうち大人しくなってしまった。
吉浦組に日本酒と菓子類を差し入れ、白樺湖に近い姫木平という所にあるペンションに着いたのは暗くなってからだった。なじみの主人夫婦は所要で出掛けており、近くに住む娘夫婦が手伝いに来ていた。この夫婦もクーパーという名前のゴールデンレトリバーを飼っている。
やはり、標高千メーターを越える高原だけあって夜は相当冷え込んだ。部屋の中は暖房設備があるが、外の車の中に居る安芸は、ケージの周りを覆った薄い毛布一枚であるが、長旅の疲れから熟睡出来たようである。
翌朝、昨夜遅く帰って来た主人夫婦と一年ぶりの久闊を叙して、霧が峰の会場に向かった。朝の冷気の中、雲の上に広がる雄大な山裾を走ると実に清々しい気分になる。その名のとおり富士見台という所から、八ケ岳連峰のかなたにいわゆる裏富士がよく見えた。
警戒競技の会場を見に行くと、偶々去年のチャンピオンとなった犬が審査を受けていた。引き締まった犬体と節度と品格ある動作、ハンドラーの毅然とした態度等いずれも完璧であり、飼い主と安芸のコンビとは雲泥の差である。安芸のため、ドイツ製の頑丈なスパイクカラーと専用車に貼るシェパードの顔写真のシールを記念に買い、一年後の再会を約して吉浦組と別れた。
霧が峰行から丁度一週間後の十一月二十三日午後五時五十六分、新潟県中越地震が発生した。S訓練士の所属する警察犬訓練所は、二十一時三十分出動準備を開始し、二十三時三十分には所長以下三名と救助犬二頭(シェパード、ラブラドール)が、四輪駆動のワンボックスカーで藤沢市を出発し、新潟県の被災地に向かった。
一行は、度々遭遇する通行不能な崩落道路を迂回しつつ、翌日の七時三十分、小千谷市消防局の現地指揮本部に到着した。その日は一日待機して情報収集に努めたが、夜になって指揮本部より、「被災地域の現況は完全に把握しており、行方不明者などは居ず、要捜索場所は今後とも無い状況であり明日にでも撤退していただきたい」との連絡を受け、翌日正午現地を撤収して帰途に着いた。
しかし、その一週間後警察との調整により、避難者の留守家屋警備のため再出動することになり、S訓練士も自分の飼犬シェパード二頭を連れて新潟に行ってしまった。
このため、安芸の訓練は約一週間中断することになったが、飼い主は出動状況をS訓練士から聞いて、ボランティアとはいえ初動段階におけるプロ並みの判断力、行動力に大変感心をした。特に、報道で知る限り困難な道路事情の中、迅速に現場に進出したことには自衛隊も顔負けだろうと思った。因みに、日本レスキュー協会,日本救助犬協会等の他の救助犬団体は正午頃到着したそうである。
日本で初めて多くの人に救助犬の存在が知られるようになったのは、阪神大震災の時である。阪神大震災では建物の下敷きになった人の発見が遅れ、多くの人命が失われた。この頃は国内に災害救助犬が少なかったため、スイス、フランスからも出動したが、入国手続き等に手間取って現場到着が遅れ人命救助には至らなかった。
この教訓から、地震などで瓦礫の下敷きになった人を臭いで発見し知らせる災害救助犬の力を借りようと、各地でボランティアによる救助犬の育成が活発化し、すでに内外の災害にも出動して活躍が知られるようになった。しかし、国としての公的資格認定制度の不備等、欧米に較べてまだまだ遅れているのが現状である。
新潟県中越地震においても、発生の四日後土砂崩れを起こした長岡市の現場で二歳の幼児が奇跡的に救出されたが、このきっかけとなったのは救助犬の活躍である。朝日新聞によれば、「岩や土砂の間からわずかに姿をのぞかせた白いワゴン車。運転席側を下にして横転した形で埋まっていた。その上で、警視庁の警備犬「レスター号」が鼻をすりつけ、ほえた。」とある。
警視庁や各県警では、警察犬と救助犬という二種類の犬を持っているが、県警によっては民間ボランティアに嘱託しているところが多い。
警察犬は、個人の臭いを覚え、その臭いをたどりながら足跡線上を進む。一方、救助犬は不特定多数の人の臭いを災害現場から察知、風等で流れてくる浮遊臭を追って行きながら一点を捜し当てる。このように警察犬と救助犬は、鼻の使い方や動作が根本的に異なるので、警察犬は災害現場では間に合わないが、犯罪などの現場では、違う方法で救助犬を使うことが出来る。
従って、訓練の内容も共通する部分も多いが微妙な違いがあり、また犬の種類や性格によってかなりの能力差が出てくるのである。
安芸の両親は、広島県でいずれも警備犬として活躍中であるが、果たしてボランティアとして活動する場合どちらに向いているのか。
因みに、新潟県中越地震に対し十一月十四日現在二千二百二十名の諸々のボランティアの人達が参加しているそうである。参加した救助犬の統計はないが、せいぜい二十頭以下であろう。
これまで安芸は、共通して必要な服従訓練のほか警察犬、救助犬それぞれに必要な基礎的訓練を断片的に受けて来た。犬の二歳十ヶ月は、人間で言えば十七、八歳。これからの訓練内容は警察犬、救助犬いずれにするのか、そろそろ将来の進路を決めねばならない頃である。
もっともカミサンは、ボランティア活動は亭主がこれまでやって来たのでもう沢山、安芸は自宅の警備のみで十分であり、これ以上の訓練はかわいそう、と繰り返し言ってはいるが・・・・(第十四回了)
三浦の羊飼い
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寒くても暑くても標準的な安芸の散歩は、朝晩それぞれ四〇分から一時間ぐらいかけて行う。普段、家の周囲を駆け回っている安芸にとっても、やはりこの時間が待ちどうしいらしい。
飼い主がちょっと寝坊をした朝など、小屋の戸を揺すって催促する。
宴会などで飼い主の帰宅が深夜になって、カミサンはさっさと寝てしまっても、安芸は起きてちゃんと待っている。
何度も引きずり倒されて、手足に擦り傷が堪えなかったカミサンは、人と犬気のないのを見計らってその辺で済ませてお茶を濁すのだが、そんな散歩では満足しないのである。
よく観察すると、散歩中の行動パターンはおおむね三種類の組み合わせである。
まず第一のパターンの野性モード。
普通朝一番に示すパターンで、鼻で何かの臭いを追跡しながら姿勢を低くし獲物をねらうような格好をして歩く。
飼い主の制止などにかまわず、息急き切ってリードをがんがん引っ張って行く。
途中出会う人や犬には目もくれず、何かに憑かれたように坂を上り、巡礼古道と呼ばれる細い道を通り、小高い丘の上にある見晴台まで一気に登るのである。
飼い主は通常そこのベンチで一休みするのだが、そこからは古都を囲む緩やかな山並みの向こうに、天気が良ければ右に丹沢山系、左に伊豆の山々を裳裾のように侍らした優雅な富士山を見ることができる。
土、日で時間に余裕がある時は、更に上の通称水道山まで登り、相模湾と伊豆大島を眺めることもある。
夕暮れ時など伊豆の山並みに沈む夕日に映える富士の姿はことのほか美しく、しばし呆然とすることがある。
しかし、景色なんぞ安芸には全く関係ない。
安芸はこの丘に辿り着く前に、たいてい大、小それぞれの排便を済ませ、公園の水道蛇口からがぶがぶ水を飲む。そして、やっと野生モードを脱し、遊歩モードに移行するのである。
こうなると、多少余裕が出来るのか、通りすがりの犬にちょっかいを出したり、先方の挨拶を受けたりする。
一応飼い主を意識して行儀良くしてはいるが、いつもおやつを呉れるセントバナードの飼い主を見つけると、節操もなく駆け寄り行儀良く停座をして待っていたりする。
この遊歩モードになると、リードは引っ張らないので楽であるが、時々木の上のリスを見つけたり、相性の悪い犬に出くわしたりすると、急に駆け出すことがあるから要注意である。
散歩も終わりに近づくと、疲れてくるのか飼い主の左横に占位し、前には出ないで歩くようになる。
これが正しく脚側行進の基本であり、よそ行きのいわゆる競技モードである。
だいたい朝方とか、久し振りに散歩に行く場合はこのようなパターンの組み合わせであるが、夕方の散歩では専ら遊歩か競技モードが多い。
特に、週三回通っている訓練日の夜の散歩では、ほぼ完璧な競技モードになっている。
生後四ヵ月目ぐらいから散歩に連れて出ているが、飼い主は生まれながら持っている犬の習性というか、本能に感心することが多々ある。
例えば排便スタイル。その作業に適した場所の選定については躾教育で徐々に学習するようだが、性別によって特有の姿勢は最初から間違いなく出来た。
ある知り合いの犬のように飼い主を困らせるため、わざと片足上げて小用を行うお嬢様もいるようだが・・
もっとも安芸の場合は、場所についても最初から人目の着かない脇道に入ってするし、自宅の敷地内では何故か我慢をして行わない。
飼い主はそのことに気付かないで、仔犬の頃膀胱炎にさせたことがあるくらいだ。
また、常に周囲に対する警戒動作を頻繁に行う。
餌を食べる時は一気に食べないで、一口食べてから周りを見渡し、餌と我が身の安全を確認したのち、悠然と食べる。
散歩の途中、見晴台の途中にある小さなお地蔵さんを拝むため、飼い主がしゃがんで居る間も、安芸はお地蔵さんに尻を向けて座り、飼い主をガードするようにあたりの警戒を怠らない。
散歩を終わって玄関を入る時、まず門の外で周囲を見回し安全確認を行ってからおもむろに入ってくる。
しかもその動作が、誰も教えないのに米軍の特殊部隊みたいにサマになっているから不思議である。
もうひとつ感心し驚くことがある。それは、定期的に胃の掃除をする草の種類を先天的に知っていることである。散歩デビューした頃、盛んに道端にある細長い形の青い草を摘み食いしていたが、突然吐き気を催したように苦しみだしたことがあった。
当初飼い主はびっくりして背中をさすってやったものだが、そのうち食べた草と一緒に胃の中の物を吐き出し、けろっとして散歩を再開したのである。
訓練士に聞いたら定期的に胃の掃除をするため犬が良く行う動作だそうである。そういえば、柴犬を買っている九州の友人も、自分の飼い犬が食べる草の種類も安芸のものと同じであり、生まれたときから誰も教えないのにその草を知っていると言っていた。
こういった習性は先天的なもので、生後数ヶ月から始めた躾教育や訓練による学習効果では決して得られない。いわば、その犬の保有するDNAによるもので、先祖代々遺伝子としてそれらの行動態様が細胞のどこかに刷り込まれているのであろう。
DNAといえば、最近のDNA鑑定の技術は素晴しく、困難といわれた 横田めぐみさんの遺骨といわれるものを別人と見事鑑定してしまった。
DNAは、生物に必要な遺伝情報が刻まれた遺伝子の本体で、生命活動の基礎となる化学物質、塩基と呼ばれる四種類の物質が鎖状に並ぶ構造をしているが、その並び方は人によって違う。DNA鑑定はその個人差を利用し親子鑑定や犯罪捜査などに広く活用されている。
毎日新聞によれば件の骨は焼かれていたため、細胞内の核にあるDNAはこわれていたので、核外に数百から数千ある小器官「ミトコンドリア」からDNAを取り出して分析し、めぐみさんのへその緒に含まれるミトコンドリアDNAと比較し,別人と結論付けたそうである。
すべての生物は細胞の集合体であるが、細胞内の遺伝情報を担うDNAの巨大な系状分子が染色体である。
染色体の数は生物の種類によって異なり、ヒトには二十三対四十六本、イヌには三十九対七十八本の染色体がそれぞれの細胞の核内にあり、この染色体のDNAにそれぞれの生物の遺伝情報が貯えられている。
従って、今やどのような雑種の犬でもDNA鑑定により九十九パーセントの精度でその系図を正確に示すことが出来るし、人間と同様に「遺伝病」の解明により、正確な診断や迅速な対応を可能にしているそうだ。
新聞を見ていたら、DNA鑑定活用の例として面白いニュースがあった。
スペインのマドリッドでは、最近飼犬のDNAデータの登録が義務付けられ、歩道や公園にフンを放置した場合、DNA鑑定でその犬の飼い主を割り出し、罰金を課す制度を導入しているそうである。
因みにマドリッドでは児童公園に犬のフンを放置した場合の罰金は六百ユーロ(約八万三千円)という。
車の駐車違反の罰金を踏み倒す人が多いスペインでその効果について疑問視する向きもあるが、英国のロンドンでは既にこのDNA鑑定罰金方式で効果は保証済みだという。
いかに優秀な血統(DNA)を有していても、又どのように訓練されても、自分のフンを始末できる犬はいないだろう。高度に発達した人間社会で本能のままに生きられない犬も余計なお世話といいたいところだろうが、人間のほうも朝晩飼い犬のフンの始末をして毎日(八万三千円X二)十六万六千円もの大金を環境美化に投じているようなものである。これではペットとして飼っているのに、まるで「お犬様」の世界になってしまう。
安芸の住んでいる古い歴史のある町は環境保全に特に厳しいが、犬のフンの始末をすることを条例で規定しているものの、違反した場合の罰金は課せられることはない。
人も犬もそれぞれの領分を守っておおむね楽しく共存している。
しかし、およそ三百年前、「元禄」の時代に犬公方というお殿様が居たのだから英国やスペインの例は他人事ではない。(第十五回了)
三浦の羊飼い
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