コラム投稿記事
 

コラム目次

前ページ

次ページ

安芸二号便り46『ウィーン合宿所の日々』 三浦羊飼い


 日本出発の日、安芸と飼主は朝四時に起きてカミサンと共に専用車で成田に向かった。同行のM所長とエロス号、M訓練士とランディ号のペアと合流、航空会社のカウンターでケージに入れた安芸を携行品と一緒に預け、超過重量代金として約二十四万円を支払った。

 搭乗機は定刻成田を離陸、日本海〜シベリア〜フィンランド上空を通過しフランクフルトに向かう約十一時間のフライト。機内では、三回の食事のほか、気に入ったドイツのビールとワインを専ら飲んでうとうとしていると、現地時間の昼過ぎ、フランクフルト国際空港に着いた。ここで、EUへの入国審査、手荷物検査を済ませてウィーン行きの機に乗り換える。


 更に五時間後、飼主と安芸はウィーン国際空港で十八時間ぶりに対面した。荷物引取り所の目立つ場所に大きなケージが三個置かれていて、その中で日本からの救助犬三頭が心細そうに待っていた。

 空港には所長の息子のS君とウィーン消防局出身のP氏が、消防局名入りの真っ赤な大型バンで出迎えに来ていた。途中、空港近くの公園で下車し、犬たちの排便を兼ね小一時間休憩する。

 安芸は、久しぶりに体を伸ばしリラックスしたのか、野良猫を見つけ猛スピードで追いかけて飼主をはらはらさせる。日本にいる時と変わらない。やがて、車は緑豊かなプラター公園の中に入り、その一角にある合宿所に着いた。昔警察犬訓練所だった所で、消防局の救助犬訓練に使用されているという。

 管理人のM女史を紹介され、初対面の挨拶をする。P氏もM女史も所長とは旧知の間柄で、ここに住み込みで研修中のS君から安芸と飼主のことは聞いているようだ。約二十頭は収容できそうな立派な犬舎があり、その一室を安芸にあてがわれた。所長はS君と同室、M訓練士と飼主は犬舎横に据え付けられたトレーラーハウスに合宿することになった。


 居室は狭いが、構内には広々とした芝生の訓練場があり、強化訓練には最適の環境である。夜の八時半頃から我々の歓迎夕食会が始まった。メンバーはここに出入りする犬仲間の男女をいれて計八名。構内の犬舎に自分の犬を預けている者も居り、四六時中自由に出入りし、クラブハウスのように利用しているようだ。

 会話は殆どドイツ語、中には英語を話せる者もいるが、たいてい犬が話題なのでなんとなく通じている。現地産のビールで乾杯したが、日本人好みのドイツ系の味でこれが結構うまい。トレーラーハウス初めての夜、飼主は早めに就寝したが、二時間おきに目が覚めなかなか熟睡できなかった。多分安芸も同様だろう。かくして一週間にわたるウィーン合宿所の生活が始まった。


 合宿所はウィーン中心部からは少し外れるが、ドナウ川とドナウ運河の間に挟まれた広大なプラター公園の中にあり、運河沿いに走るアウトバーンと閑静な住宅街に囲まれている。この公園は、もともとハプスブルグ家の狩猟場であった森だけに、構内には日本の公園に相当するようなスペースが数箇所あり、ゴルフ場、馬場、別荘地まである。

 毎朝の安芸と飼主の散歩は、一時間たっぷり、リードなしでのびのびと出来る。時々乗馬で散歩している人に出会うが、馬の通る道は標識があり決まっているようだ。ロンドンのグリニッチ公園には犬専用のゴミ箱があったが、ここでは犬の糞の後始末については大らかである。日本では自治体の条例で飼い犬の繋止や糞の処理が義務付けられているが、確かに馬糞は放置して犬のそれだけ始末せよというのも理に合わない。

 リードや口輪の装着も飼主の自己責任にまかされているようで、街のレストランではたいてい犬同伴可能である。一度皆と犬連れで食事に行った時、ミネラルウォーターは有料なのに、犬の水は無料で大きなバケツに入れて出されたのには驚いた。

 合宿所の食事は極めて不規則かつ質素、若いM訓練士には物足りない。ある夜二人は合宿所を無断外出して、公園内のレストランでウィーン料理とビールで栄養補給をした。一夜歓迎夕食会のお返しに、日本側がすき焼きを作って墺側を招待した。日本の食材の入手に苦労したが、日本酒も調達し味は上々で好評だった。


 連日三十度を越える猛暑が続いた。しかし、湿度が低いので日陰に入ると凌ぎ易く、朝晩は寒いくらい。訓練は、毎日約二時間服従、熟練、捜索の各課目を反復演練した。安芸も徐々に環境にも慣れ、生活と訓練のリズムを確立してきた。一日、トルコ代表の選手が合宿所にやって来て合同練習を行ったが、見学するだけでも十分参考になる。

 安芸の訓練も順調に仕上がり大会への準備もほぼ完成した頃、後発組四名がウィーンに到着した。通訳兼ガイド兼ドライバーのY君とランディ号の飼主の娘さんのM嬢、安芸担当のS訓練士、同僚のR訓練士である。経費節減のため飼主はトレーラーハウスをY君に明け渡し、市内のペンションに移ることになった。

 古いが清潔そうなペンションで、犬の連れ込みは駄目だと言う。しかし、チェックインするとシェパードに似た犬が食堂に鎮座している。過去にこの犬とトラブルがあり、今は犬連れを断っているらしい。

 飼主は競技前の一番重要な時期に安芸との接触時間が少なくなることを危惧した。しかし、直ぐそれも忘れ、その夜は皆一緒にドナウ川の中洲で行われている「ドナウ中洲祭り」見物に繰り出し、RDTAジャパンの結団式を兼ね長いウィーンの夜を楽しんだ。(第46回了)


                             三浦の羊飼い

  目次へ TOPへ 前ページ

安芸二号便り47『古都アイゼンシュタッドの夏』 三浦の羊飼い


国際救助犬連盟(IRO)主催第十三回世界選手権大会は、六月二十八日から四日間、オーストリアの古都アイゼンシュタッドで実施された。

世界十九カ国から百三十頭の救助犬が参加し、日本からは「エロス」「ランディ」「安芸」のチームを入れて四頭が参加した。

「安芸」と飼主たちは、毎日レンタカーでウィーンからアイゼンシュタッドまで約一時間の行程を往復した。


ウィーンよりはやや涼しいが、連日三十度を越す完璧な夏の気候である。アイゼンシュタッドは、オーストリアのほぼ北東部に位置し、ゆるやかな大平原にブドウ畑が続くこの地は、古くからワインの産地として名高い。

この街の郊外、ひまわりの畑に囲まれたサッカー・スタジアムが主会場になった。大会期間中、犬舎用リアカーを牽引したり、大型のバンに何頭もの犬を収容したりした車が集まって来て、この典型的な中世ヨーロッパの風情を持つ小さな街を賑わした。


大会開始前日の夕刻には、出動服やユニフォーム姿の参加者が、犬を連れて開会式会場まで目抜き通りを行進した。

沿道の市民や観光客が盛んに手を振り、カメラを構えて、異様な外国人と犬の集団を温かく迎えてくれる。

市の中心部、エスタハージー城前の広場で開会式が行われ、州知事、オーストリア陸軍将官等の歓迎の挨拶や祝辞があった。


この城はこの地域がハプスブルグ家からハンガリーのエスタハージー公の手の渡った十七世紀後半に建設されたもの。

この夜、抽選会が城内の「ハイドンの間」で行われた。同公に宮廷音楽士として仕えたハイドンにちなんで造られたハイドンの間は、天上画が見事で、当時は毎晩のように演奏会が開かれたそうである。

抽選の結果、安芸は一日目「熟練」、二日目「がれき捜索」、四日目(最終日)「服従」と決まった。


翌日からの競技で、安芸と飼主は普段の練習の成果を十分に発揮できなかった。否、実力を発揮できなかったというよりは、日頃の安芸と飼主の関係が露呈してしまったと言うべきか。

しかし、唯一「がれき捜索」では、飼主と安芸は仮想被災者全員を発見し、種目合格することが出来た。その「がれき捜索」試験会場は、車で三十分ぐらい走った所の広大なオーストリア陸軍災害救難演習場にある、本格的な常設訓練場の一つ。

日本チームの参加犬にとっては勿論初めての場所であるが、幸運だったのは審査員が顔馴染みのドイツF氏であったこと。


そのF審査員は、申告時なかなか停座をしない安芸を見て、「相変わらずですね」と言ってにやりとした。

飼主は、捜索現場を足場の良い順にA,B,Cの三つのゾーンに分け、風下からA,B,Cの順に区域捜索を行うことにした。

まずAゾーンから犬を入れたが、足場のコンクリート壁の傾斜が急でこれを越えるのに難航した。まもなくして安芸は尻尾を振り始め、何度も半壁をよじ登って中を覘こうとするが、なかなか吠えない。


約八分経過後やっと咆哮告知を行い、一人目を発見した。

一旦最初の位置まで戻し、Bゾーンに投入したら今度は二、三分後に吠え出した。

奥の区画の地上レベルで二人目を発見。Cゾーンはいくつもの地下室に厚いコンクリート壁が崩落した所で足場は最悪である。

安芸はしばらく手前の区画に固執していたが顕著な反応がないので、奥の方を指示したところ地下室に入り、姿が見えなくなった。


しばらく我慢をしていたら、かすかに吠える声が聞こえた。審査員に申告し現場に行くと、一番奥の地下室のかなり急な斜面を降りた所で安芸が盛んに吠えている。

日本語で何回か声を掛けると、しばらくして被災者からの応答があった。規定の三十分に対し、全員発見までの所要時間は約二十分。審査員の講評があり、得点は一四八点でこの種目合格となる。


「服従」「熟練」の各科目は、ウィーンの強化合宿では問題なくクリヤー出来ていたが、結果は不合格となった。

飼主は、今回の世界大会の体験を踏まえて、帰国後その原因を分析しほぼ特定できた。すなわち、鍵は技術面ではなく精神的なもので、究極的には安芸と飼主の関係にある。普段から人と犬が一体となった信頼関係が不可欠である。


飼主は、今回日本チームで唯一総合合格したM訓練士とランディ号の合宿中の関係を見て、このことを実感した。

確かに安芸は、「捜索」では楽しそうで飼主との一体感があったが、「服従」「熟練」では、自らやると言うよりはやらされているという態度で、しぶしぶあるいは時に拒否反応を示した。

しかし、今回安芸の捜索能力が世界レベルでも通用することを確認できたことは最大の成果である。


帰国してから約一ヶ月、安芸はしばらく訓練を中止し、飼主と新たな関係を築きつつ穏やかな日々を過ごしていたが、ある日突然生命をも危ぶまれる事態に陥ることになる。全国で猛暑日が続いている八月十一日現在、安芸の容態はこの一両日が山場である。(その仔細は次号で報告)

いずれにせよ、ひまわりの畑に囲まれて過ごしたアイゼンシュタッドの短い夏は、安芸の一生において最も印象的で輝いていたことには間違いない。(第47回了)

                            三浦の羊飼い

  目次へ TOPへ 前ページ

安芸二号便り48『猛暑と闘病の夏』 三浦の羊飼い


 オーストリアから帰国して一月もの間、安芸はのんびり休養しつつ、引き締まってはいるが特訓で痩せた身体の回復に努めた。今から思うとこれが裏目に出たのかも知れない。

 八月に入って直ぐ、防災訓練で搭乗する陸上自衛隊ヘリの事前訓練に参加した。最初、安芸は箱根町の中学校に着陸するヘリの姿を見て盛んに吠えた。北海道で初めて自分より大きい真っ黒い牛を見て吠えた時と同じで、次からは平気であった。

 搭乗した三頭の救助犬はいずれも初めてであったが、機内では大変おとなしく犬の輸送は初めてと言う搭乗員を感心させた。何事にも好奇心の強い安芸は、城が崎の吊橋を思い出したのか、しきりに背伸びをして窓の外の景色を眺めようとする。訓練は僅か三十分で終了したが、帰宅したのは夜の七時過ぎになった。

 夕食後一時間頃、庭に居た安芸が突然うめき声を上げて七転八倒し始めた。腹がパンパンに膨れている。飼主は直ぐ、帰りの車中で訓練士たちの話題になっていた「胃捻転」を思い浮かべた。犬の胃捻転は突然発症し、胃がねじれることからショック状態に陥り、放置すると数時間で死亡してしまう、大型犬に多い病気であるが確たる原因は不明。

 二時間後、安芸は横浜の夜間動物病院で緊急手術を受けた。その際、脾臓に腫瘍が見つかったので、なくても支障のない脾臓を全部摘出し、胃を固定したので手術は三時間あまりかかった。手術は成功ということなので、翌朝金沢文庫の動物病院に転院した。若いが経験豊富そうな院長が、写真を見て夕方にもう一度来てくれと何度も念を押す。


 その日の夕方、安芸は昨日同様の症状となった。再び麻酔をかけ内視鏡でガスを抜いたが、結局二日後に再手術となり三日間で累計七時間半の全身麻酔を経験することになる。

 飼主が立ち会って再手術は成功したが、安芸は更に三日間入院しなければならなかった。この時期、記録的な猛暑が続き、犬にとっては最悪の環境。退院してからしばらくの間、安芸は冷房完備の自宅の居間で初めて過ごすことになる。飼主は、もともと今年の夏休みは猛暑を避け北軽井沢にある親戚の別荘で快適に過ごす予定だったが、自宅で専ら安芸の介護に努める羽目になった。

 約一週間、飼主は居間に設置した簡易ケージの中の安芸を見守りつつ、ソファで寝る生活をしていると、飼犬のいろいろな姿が見えてきた。犬もいびきをかくことも知ったが、寝言らしいことを言いながら手足を無意識に動かしている。きっとアイゼンシュタッドでの栄光の日々を回想しているのだろうか。安芸の回復は意外と早く、退院後一週間で抜糸、食事も通常の内容に戻すことが出来た。


 八月末から九月初めは防災週間で、飼主らのNPO法人は例年どおり連日各自治体の主催する防災訓練に参加した。今年は、そのうち出動協定を締結している藤沢市や箱根町、寒川町とは自衛隊の航空機・車両による被災現場進出や協同捜索救助活動を演練する、より実際的な内容とした。また、県主催の訓練では県警機動隊と嘱託救助犬の日頃の協同訓練の成果を披露できる内容とされた。

 安芸がオーストリアから帰国してまもなく、最大震度六強の「平成十九年新潟県中越沖地震」が発生した。飼主らのNPO法人も直ぐに出動待機をしたが、結局出動には至らなかった。三年前の中越地震とほぼ同規模の地震であるが、今回は発災が朝だったため被害の状況把握が早い時期に出来、行方不明者も少なく殆ど特定されていたこと等がその理由である。

 しかし、一民間の
NPO法人にとり、潜在的かつ最も困難な要因は、進出時間とその手段にある。箱根町のように出動協定を結んでいる自治体からは県知事経由で救助犬の輸送について自衛隊の災害派遣を要請し、自衛隊の航空機・車両を利用して第一陣の投入が迅速に実施できる。一般に、救助犬に関する認知度も低く出動協定もない、新潟県のような所へは、独自の手段で進出せざるを得ないため、三年前の中越地震の時のように進出に長時間を要することになる。

 これらの要因を念頭に今年の防災訓練では、箱根町は陸自ヘリにより、寒川町は海自ヘリと陸自車両により、藤沢市は陸自車両により現場進出という訓練シナリオが採用され、大きな成果があった。特に、自衛隊員の人たちに救助犬の能力を認識して貰えたことは、今後効率的かつ迅速な人命救助活動に有益と思われる。


 八月末には、安芸は正常な生活状態に復帰していたが、カミサンの厳命もあり、大事をとって今年の防災訓練にはヘリ搭乗を含めて参加を断念した。それでも、最後に行われた横須賀市田浦署主催の小訓練では、リハビリを兼ね基礎的な捜索訓練展示に参加した。

 この日も猛暑日であったが、安芸は嬉々として短時間に被災者を発見した。体重はまだ元に戻っていないが、とても一ヶ月前大手術をした病み上がりとは思えない程、旺盛な捜索意欲を示した。


 次の週からは、約四日間、往復千六百キロに及ぶ藤沢―玉野―呉(吉浦)―藤沢間の災害出動・車両移動訓練、海自警備犬との合同訓練が始まる。まだまだ本格的訓練開始の状態ではないが、昨年同様安芸は自分の生まれ故郷に錦を飾りたい一心のようだ。折しも、吉浦から安芸の兄弟警備犬ドラゴンが熱中症で亡くなったという訃報が入った。(第48回了)

                          三浦の羊飼い

  目次へ TOPへ 前ページ

安芸二号便り49『再びふるさとへ』 三浦の羊飼い


 九月に入っても残暑の厳しい毎日が続いた。上旬の防災訓練が終わり、一息ついたところで恒例の吉浦合同訓練に出発した。広島県呉市の瀬戸内海に面した風光明媚な港町吉浦は、安芸の生まれ故郷であり、二ヶ月足らずここの犬舎で過ごしている。吉浦の警備犬との合同訓練は昨年に引き続いて二回目であり、今回は飼主はじめ訓練所長以下訓練士計八名、救助犬十一頭、車両三台が参加した。

 吉浦まで約八百キロの長距離行動であるが、災害出動を念頭においての移動訓練も兼ねている。途中、この度NPO法人の名誉会員となった、岡山県玉野市のO氏宅に立ち寄り、宿泊と夕食のお世話になった。一時五頭もいたO氏の愛犬は最近相次いで亡くなり、今は十一歳になるもん吉と一歳半になるター君の二頭のみである。いずれもピレネー犬の巨漢。

 半年前、軽自動車にはねられるという事故に会いしばらく山の中に逃亡していたター君は、最初遠来の犬たちを警戒していたが、そのうちすっかり打ち解け仲良しになってしまった。もん吉は脚が悪く殆ど動けない状態であるが、空路慰問にやって来た準飼主の
氏には盛んに甘えている。もん吉の歳からして、彼との触れ合いはこれが最後になるかも知れない。


 翌朝早く玉野を出て呉に向かう。吉浦では、安芸二号は母親のメッシュや兄弟の松之助と一年ぶりに対面できたが、父親のゴンは昨年亡くなっている。六年前、飼主が名付け親として命名した安芸一号は、相変わらずシェパードにしては小振りの体を摺り寄せて甘えて来る。警備犬としては役不足だったようだが、六頭の子犬を産み母親としての務めを立派に果たした。

 警備犬と救助犬の合同訓練は、猛暑の中二日間にわたり行われた。まず日本訓練チャンピオン大会に出場予定の警備犬の訓練展示があり、続いて救助犬の服従、熟練、捜索作業の訓練展示を行った。昨年同様、M所長が質疑応答の形で吉浦訓練士の人たちにワンポイント・アドバイスを行った。

 吉浦側の最大の関心事は、警備犬を救助犬として活用できるかという点にあり、二日目はこの課題で研究会と研究作業を実施した。松之助号をモデルとして救助犬訓練士が水平梯子渡り等の熟練作業の基礎訓練を試みる。

 最後に、所長のエロス号により襲撃訓練と山野捜索の実演を行い、同じ犬が警備と捜索の両任務を遂行できることを実証した。痩身病み上がりの安芸は、訓練展示で捜索作業を行い、吉浦の観衆を感心させた。また、研究会で上映した世界選手権のがれき捜索DVDにも登場し、どうやら今年も故郷に錦を飾ったようだ。


 安芸たち一行は、今話題の呉市の大和ミュージアムやてつのくじら館を見学した後、藤沢に帰って行った。

 飼主は一人残り、翌日から始まるクラス会行事の幹事として受け入れ準備をした。四十年前に対岸の江田島の学校に入校した同期生が夫人同伴で参加する「とわ会江田島再訪の旅」である。とわ会はクラス会の名称で参加者は総勢百三十名。呉のホテルを借り切って記念総会・懇親会を行い、翌日貸し切りバス二台で江田島へ。

 二日とも猛暑で、特に江田島は九月中旬というのにとにかく暑い。あの軍神広瀬中佐が家人に当てた手紙に、「江田島は夏暑くて冬寒い所」と書いたそうだが、当たり前のこの言葉は炎暑酷寒の一年を体験した参加者には身にしみて感じる。暑いと言っては酷暑訓練、寒いと言っては厳冬訓練をやる。これらの訓練を通じて強靭さを増す同期の絆。飼主は、入校時の書類に貼られている四十年前の写真を見せられたが、そこには全く別人の自分がいた。

 猛暑を考慮し、行事は三十分早く切り上げられた。学校から小用という港まで車で送って貰った飼主は、異様な光景を目にした。同期の連中十四、五名が歩いて小用峠を上っている。まるで四十年前のように。還暦を過ぎた老人たちが、炎天下大声で談笑しつつ歩いている姿は、まわりの人には到底理解できなかっただろう。わが青春の江田島、第二の故郷。江田島とはそういう所である。


 それぞれの故郷再訪の旅から戻った安芸と飼主は、そろそろ秋の救助犬試験に向け訓練の準備を始めた。安芸は体重も元に戻り完全に回復したので、カミサンの発意で訓練士たちを呼んで快気祝いをした。

 十月一日、NPO法人が出動協定を結んでいる箱根町で震度五強の地震が発生した。深夜の二時過ぎであったが安芸と飼主は出動準備をして訓練所に向かう。そこでM所長と息子のY君と合流し、箱根町役場に到着した頃には、空が明るくなって来た。二時間ほど待機したが、被害は殆どなかったので解散となる。待機中にTV局の朝番組の取材を受け、M所長がインタービューに答えた。


 この数ヶ月間、猫のミーコは体調が優れず時々吐いていたが、十月に入り急に衰弱して来た。慌ててカミサンが病院に連れて行き精密検査を受けたその夜、あっけなく息を引き取った。一難去って又一難、カミサンの嘆きようは側で見ていられないほどである。それでも試験が迫ってきた飼主と安芸は、週末の訓練に出掛けた。肌寒い初日は雨になり、参加したのは飼主と安芸のみであった。(第49回了)

                          三浦の羊飼い

  目次へ TOPへ 前ページ

安芸二号便り50『完全復活した安芸』 三浦の羊飼い


 秋の国際救助犬試験は、県警の嘱託救助犬の選考も兼ねている。猫のミーコが死んでから、カミサンの悲嘆振りは相当なものだったが、そのうち落ち着いてくると今度は安芸のほうに関心が向いてきた。

 世界選手権に出場した一ヵ月後に、胃捻転という一命にかかわる大病をしたばかりの安芸の受験には反対した。そればかりか、もう行くところまで行ったのだから、後は我が家の番犬でもしながら余生を静かに送らせたい、と言う。オーストリアで安芸との服従関係という重い課題を残した飼主は、もう一度だけという条件でカミサンを説得し、試験を受けることにした。

 しかし、例年どおり十月下旬長野県霧が峰で行われた日本訓練チャンピオンに出る吉浦警備犬の応援に行ったため、事前訓練は二,三回にとどまった。今回吉浦からは四頭の警備犬が参加したが、初めてガルベス号がチャンピオングループ(九十五点以上)に入賞した。


 今回の救助犬試験は、昨年までの横浜の会場が使用できなくなり、寒川町の企業用地と相模川河川敷を借りて実施した。審査員は、世界大会でもおなじみのドイツ人F氏が来日した。初めてなので、特に捜索会場の準備は大変だったようだが、台風の影響により二日間雨に降られたほか、試験は比較的順調に経過した。

 安芸はシーズン犬参加ということで、最後に公開練習に引き続いて「服従」、「熟練」と連続実施することになったが、その頃は最も激しい豪雨となった。しかし、風雨の中でも災害救助活動は行われる。予定を前倒しして試験は続けられた。


 公開練習の持ち時間は十分だったがほぼ腹案どおり実施出来た。服従作業の安芸は、雨の中にしては比較的安定している。若干のミスはあったが、リズム感よく最後の「休止」作業に入った。伏せの姿勢で約十分間動いてはいけない。雨のためあちこちに水がたまっているが、審査員の指示された場所に安芸を伏座させ、飼主は約三十歩離れたところに立つ。

 五,六分過ぎた頃、銃声にも平気だった安芸が、突然、のこのこと水たまりの中を歩いてやって来た。驚いた飼主は、そのまま脚側行進で元の場所に連れて行き、伏座をさせる。この間、安芸は意外と従順に飼主の指示に従う。

 服従作業の講評があったが、案の定、休止は零点(配点十点)で得点は三十点で不合格。続いての「熟練」も、あちこちに水溜りがあり会場のコンディションは最悪であったが、作業は比較的リズムよく実施できた。会場のコンディションの関係で遠隔操縦を最初に実施した。安芸は途中会場に進入した見学者を追いかけ、一ヵ所をミスしたものの、訓練不足の割にはよく動いていた。


 結局、「熟練」の得点は四十点で合格。

 翌日は台風一過快晴となる。行かないといっていたカミサンが、当日朝突然行くと言い出した。「がれき捜索」も安芸は最後である。他の選手の作業を見学できるので、捜索プランの参考にはなるが、却って思い込みをして失敗する場合も多い。

 B段階は三十分で三人の被災者を発見できなければ合格できない。会場は、三棟の建物と倒壊家屋の瓦礫や車が散乱する地震災害の現場。審査員のF氏に申告する段階から安芸は吠え始めた。捜索プランを聞かれたので、まずがれき現場及び左右一階の建物、その後右二階の建物、状況を得なければがれき現場を再捜索、と申告する。

 風下側のがれき現場右端に移動し、「捜せ」と安芸を真っ直ぐ出した。すると 安芸は直進しないで左手前の方に行き、大きなシートの付近で鼻を使い始める。しばらくして二回吠えたのですぐ手を上げて申告した。シートをめくると車が一台あり、その中に被災者が閉じ込められているのを発見、この間約三分。

 続いてその場からまっすぐ奥の方へ安芸を出した。安芸は途中傾斜した幅広い壁で躊躇したが、再三「前へ」を指示したところ奥の方まで直進する。右奥に倉庫らしきものがあり、その前で盛んに吠え始めた。直ちに申告して現場に向かい、倉庫の中に入って行き、声を掛けると被災者から応答があった。ここまで約六分で二人目を発見したので、右の建物の二階部分の捜索に移行する。非常階段下から進入させてしばらくして、奥の部屋の方で安芸の吠える声が聞こえた。三人目の被災者発見まで約九分、周囲の見学者から歓声が上がる。


 審査員の講評があり、服従性についてやや不十分と指摘されたが、得点百七十八点でこの種目合格となった。

 初めて目の前で捜索作業の一部始終を見ていたカミサンの喜びようは大変なもので、しばらくは親戚の者や友人に会う度に自慢をすることになる。思えばオーストリアの世界大会出場から四ヵ月、胃捻転大手術から三ヵ月余り、救助犬安芸は名実ともに完全復活したと言える。

 結局、今回の試験では「服従」種目を落としているので、合格こそ出来なかったが、総合得点二百四十八点は、安芸と飼主にとって過去最高である。飼主は、豪雨の中で実施された「服従」作業を通じて、安芸の変化に確かなものを感じていた。これは、猛暑の二週間夏休みを返上して、療養中の安芸と起居を共にしたことによるのかも知れない。しばらくして、県警の嘱託救助犬に選考されたとの通知が来た。(第50回了)

                          三浦の羊飼い

  目次へ TOPへ 前ページ 次ページ