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戦場のピアニスト(The pianist) 岡本 (H16.12.16)


楽しい週末のテニスを終えて、夕食後TVを見る。

テニスコート、ベンチでの雑談、今夜は、映画「戦場のピアニスト」がありますね、と話したご夫人がいました。私は、タイトル的に好みではないので、見る予定には、そのときなかった。しかし、なんとなく見た。

ストリーは、第2次大戦下でのポーランド、ユダヤ人迫害で追われる人々、その中にユダヤ人ピアニスト(シュピルマン)がいる。ナチスの非道なやり口に無抵抗で耐える人々、多くの人々が無差別に殺害される。知らないところへ強引に列車に詰めこまれ、運ばれる(多くは帰らない)。つらい別れ、肉親も恋人も問答無用、強制労働、ピアニストはひたすら逃亡、数人の良き理解者達の慈悲・助けを受けながら逃亡、戦場の瓦礫の中、やっと隠れ続け、生き延びる。

しかし、なにぶんにも食糧、水がない。破壊され、人気のない病院に逃げ込み、消火用バケツから消化水を飲み、空き家の台所で食べ物をあさる。戦火は近くに響く、彼には、戦況がどうなっているのかなんて、解るはずもない。

ほうほうの体で、ある家へ逃げ込む。その家の台所から、かろうじて見つけ出して掴んだ大きな缶詰め(少し水分が入っている様子)を抱えて、その家の屋根裏部屋へ潜もうとする、

しかし、この貴重な缶詰めを開ける事が出来ない。道具もない。やっと金物を見つけ、弱りきった体力で、必死に開けようと挑む、やっと開いた。その瞬間、足元に落としてしまう。貴重な水分が缶詰めから流れ出す。

この時、何をここでしているのだ?
突然、現れたドイツ将校、大尉が、問いかける。
彼はびっくりして、一言も発せられない。
大尉はおびえる彼に質問する。

ユダヤ人か? 彼はうなずく。
以前は何をしていた? 彼は答える。ピアノを弾いていたと。

大尉は顎でこちらへ来い、と促す。そこには、1台のピアノがある。
弾いてみろ!と大尉は言う。

彼は、そっとピアノを開く、しばらく呆然と鍵盤を眺めている。やがて、思いきったようにピアノを弾き始める。大尉は、軍人らしい厳しい顔立ちで、無関心で聴いているが、何か心の中では、一瞬の楽しみに感謝している様子。

ピアニストは、弾き始める瞬間、もう生き延びる事は出来ないだろうと判断している。しかし、ピアノを弾き始めてから、渾身の力で集中力を高め、ピアノを弾く。彼にとって、ピアノを弾けるのは、これが最後のチャンスと感じている。

遠くでは、砲弾の音がしている。ロシア軍の進攻が感ぜられる。大尉は、もうドイツ軍はもうそう長くは、持ち堪えられないだろうと悟っている。お互いに最後の一瞬(ひととき)かもしれない。演奏者と聴衆者との最後の戦い、しかし、ピアノから弾き流れる曲(ショパンの愛のバラード)に、お互いに、追われる者、捕らえる者、立場を超えて、数分間の自己充足の分化に感謝している。

彼が、ピアノを弾き終えると大尉は、彼に、このまま屋根裏へ潜んでいるように言う。
翌日、屋根裏部屋に新聞紙に包んだパンと少しのジャムを持って来て、ぽんと渡す。

そのまま去ろうとする大尉に、感謝を誰にしたら良いのか? 
ピアニストは、感激しながら質問する。
神に感謝しろ!と大尉は、答える。

この場面が、この映画のクライマックスだったのか。

翌日の通勤電車の中で、昨夜の映画は何を言いたかったのか? 何を訴えていたのか? 考えているうちに、この場面に凝縮された人間関係、それぞれの立場を超えた感動・感受性そして一瞬のフレンドシップの誕生、まさに、人間の素晴らしさ。いかなる窮地に立っても人間同士は、通じ合うもの、接点があれば美しい!これだったのだ。と思った。

久し振りに良い映画(02年ポーランド・仏合作)を見た。それにしても、人は、なんと素敵な良い情報を提供してくれるものなのか。


                             岡本 昭男


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