近況レポート
 

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セスナ初フライト記 松木 (H19.10)


ココス島上空のセスナ


 私の操縦するセスナ機が南国の空をゆっくりと飛んでいます。右手にはいま飛び上がってきたグアム国際空港が大きく見えます。その向こうには美しいサンゴ礁が一面に広がっています。サンゴは白いので海の色がライトブルーに光り、心まで明るくなるような感じがします。

 正面に目をやると、グアム大学の三角屋根が銀色に光っています。「これは飛行するときに大事な目標となりますのでしっかりと覚えてください」と、私の右の席にいる教官パイロットが教えてくれます。

 左窓に目をやるとコバルトブルーの海が果てしなく広がっています。離陸してから、高度千5百フィート、速度百ノット、方位180度に落ち着き、水平直線飛行となりましたので、外を見る余裕ができたところです。

 海上自衛隊を退職してから精神的にゆとりができました。ほんとに好きなことをやってみたくなりました。そこで、心の中に湧き上がってきたのが飛行機です。私の人生は飛行機と切っても切れません。故郷の新潟県長岡市上空を飛びまわる進駐軍の飛行機に魅せられてから、紙飛行機、ゴム動力飛行機、無線飛行機と発展してきました。無線飛行機を再開しようと思ったのですが、近所に飛ばせるところもありませんし、狭いマンション暮らしでは、飛行機を置く場所もありません。

 そこで、マイクロソフト社のフライトシミュミレータというコンピューターゲームを1万2千円で買うことにしました。自衛隊でパイロットがフライトシュミレータを使って操縦訓練をしているのを知っていたからです。これが思いのほか傑作で、おもちゃの域をはるかに超えていました。

 夢中になりました。飛行機の動きは実機と変わりません。世界中の空港が選べます。天候も選択できます。管制塔との交信も可能です。最初はノート型の小さなコンピュータを使っていたのですが、投資して操縦訓練用にと大型コンピュータを組み立てました。画面は大きく、画像も特殊部品を使っていますから鮮明です。音もスピーカーで拡大していますからエンジン音が気持ちよく響きます。もちろん操縦桿もつけました。

腕もかなり上がってきたある日、インターネットでフライトシュミレータのサイトを見ていたら、本物のフライトシュミレータが調布飛行場にあるのを見つけました。さっそく行きました。セスナ機がいっぱい駐機しています。小型機専門の飛行場です。

 格納庫に隣接した喫茶店の一角に3台のフライトシュミレータがありました。さっそくお願いすると制服を着た現役パイロットの平山機長が格納庫から来てくれました。30歳前後で感じのよい人です。機種として小型機の代表であるセスナを選び、初歩から習いました。



フライトシュミレータ

 ここのフライトシュミレータは本格的です。操縦席は本物とまったく同じです。操縦桿の動きに応じて前面と側面の映像が動きますので空を飛んでいる時と同じ感覚になります。操縦席全体も前後左右に傾き、振動も、音も模擬しています。トリムまで装備されています。

 パイロットが後ろからマイクで指示をしてくれます。とても真剣です。私は緊張して力が入り、思うように体が動きません。頭の中は真っ白になっています。あせって計器も読めなくなっています。パイロットが「力を抜いて」、「高度が下がっています」、「パワーを入れて」、「水平線を見て」などと注意をしてくれます。


着陸のときが一番忙しく、「パワーを抜いて降下してください」、「スピードが落ち過ぎています」、「パワーを入れて」、「操縦桿は引かないで」、「降下率に気をつけて」、「頭を滑走路の数字に向けて」と厳しくなります。滑走路の末端を過ぎると「パワーを抜いて」、「操縦桿を引いて飛行機を水平にして」、「そのままがまんして」と佳境に入ります。この接地寸前の操縦が一番難しいといわれていますが、私は得意なのです。パイロットも「上手ですね」とほめてくれます。無線飛行機でいやというほど経験していたからでしょう。

 訓練を終わると背中は冷汗でぐっしょりです。フライトシュミレータからふらつきながら降ります。ひどい肩こりも起こっています。でも、心は満足感でいっぱいです。一生懸命教えてくれたパイロットに心から感謝し、1時間5千円の費用を払い、飛行場を後にします。


 飛行場を見ながら帰るときの気分は爽快です。今まで飛行場といえば出張か旅行で訪れるだけでしたが、今回は操縦訓練で来たのですから。この訓練はとても楽しくその後も長く続いています。しかしながら実機を操縦するなどということはまったく頭にありませんでした。


私はマリーンスポーツでグアムやサイパンを毎年訪れてシュノーケル、ヨット、カヤック、ウィンドサーフィンなどを楽しんでいます。

 グアムのタモン湾でヨットなどを楽しんでいると頻繁にセスナが頭上を飛んで来ます。グアム国際空港が近くあるので着陸態勢のセスナがよく見えるのです。セイルをゆるめて、しばし見学です。


タモン湾


不安定な飛び方をしています。ここでは12歳以上であれば誰でも教官パイロットの指導で体験操縦が出来ます。ですからあのような飛び方をしているのでしょうか。私にとって実機操縦はただ夢とあこがれの世界だったのですが、「これなら私にでも出来る」という思いが頭をよぎりました。

 これが契機でした。フライトシュミレータで訓練をはじめて2年もたっていました。いよいよグアムのフライトスクールでセスナに乗り、初飛行に飛び立とうと決心したのです。



セスナと私

 航空会社の事務所でブリーフィングを受けてからエプロンへ出ると白いセスナ機が待っていました。

 教官パイロットといっしょに飛行前点検を行います。

 エレベータやラダーの動き、機体のキズなどをチェックします。燃料の色をチェックし水抜きを行い、プロペラをすみからすみまで入念に検査し、静圧口やピトー菅の詰まりを確認します。


 教官パイロットが機長席に座るよう指示してくれました。感激です。座席を調整しシートベルトを締めました。ヘッドホーンもつけました。教官パイロットがチェックオフリストを読み上げます。操縦桿の動き、燃料コック、ミクスチュアー、スロットル、キャブレータヒータ、サーキットブレーカをチェックしてからマスタースイッチをオンとします。

 エンジン始動です。「クリアー」、「コンタック」と叫び、なんとも古典的です。エンジンは快調です。油圧計も電流も計も針がグリーン帯を指しています。フライトシミュレータではこういうところも訓練していますから私の動きもスムースです。


 無線機の操作は教官パイロットにお任せです。グラウンドと交信してタクシー許可をもらいました。エンジンランナップエアリアまで進出してサイドブレーキを掛けてからエンジンチェックです。

 千7百回転まで上げ左の点火栓、右の点火栓と切り替えると回転数が落ちます。許容範囲です。キャブレーヒータは南国では使わないのでチェックしません。千回転まで落とした後、2千回転まで一気に上げます。飛行機がつんのめるようになりましたがエンジンは息継ぎをしません。良好です


グアム航空管制塔


 滑走路「6R」の手前まで進出です。「6R」とは方位60度に向いている右側の滑走路という意味で滑走路の末端に大きく書いてあり、かなり上空からも判読できます。私はタクシーが苦手です。右に左に蛇行が止まりません。教官パイロットが少し助けてくれましたが、基本的には任せてくれました。



センターライン

 滑走路「6R」の手前で止まりました。教官パイロットがタワーと交信しています。離陸許可をいただいて滑走路のセンターライン上にセスナを誘導します。

グアムでは常に北東から穏やかな貿易風が吹いていますので飛行機にはとても快適なのです。

エンジンをいっぱいにふかして出発です。単発機はプロペラ後流で左へ進みますからセンターラインから外れないように右ペダルを踏みながら調整します。


 速度計をチラッ、チラッと見て60ノットになったら操縦桿をゆっくりと引きます。セスナはスムースに空中に浮きます。操縦桿を操作して80ノットを維持すると、ちょうどよい上昇姿勢になります。操縦桿に力が要らなくなるようトリムを使います。

 地上から5百フィートの高さに達したら方向変換ができるので予定コースに変針するのです。あの横井さんが隠れ住んでいたというジャングルの上空で訓練がはじまります。

 水平直線飛行、上昇、降下、旋回など、いずれも難なくこなすことができました。教官パイロットは進路、離陸速度、高度、訓練メニューを指示するだけで、離陸時からずっと操縦桿に手を触れることはありませんでした。

 パイロットの手記などを見ると「初飛行では緊張で体が硬くなった」とか、「自分にはとても操縦は無理だと感じた」とか書いてありましたが、私はリラックスしていました。これはフライトシュミレータの教官パイロット、コンピュータの技術力、セスナ172型という傑作機のおかげだと心から感謝しました。


 さあ、着陸です。島を横切ってまた海に出てから右に90度変針して北上します。右手には私の泊まっているPICホテルが見えています。下の方は実に素晴らしいサンゴ礁です。正面に恋人岬が見えています。

 恋人岬の真上で180度旋回をして滑走路と平行に飛びます。これと同時に高度を千3百フィートまで降ろしておきます。グアム空港は海抜3百フィートにありますから、そこからの高さは千フィートということになります。


セスナからPICホテルを望む


 ここで教官パイロットがタワーにタッチ・アンド・ゴーを要請しました。左手に滑走路を見ながら飛行を続け、滑走路の末端が見えたときにエンジンを絞って降下をはじめます。滑走路が長いのでフラップは使いません。あのグアム大学の銀色の屋根が左正横に来ます。



滑走路を望む

 ここで、左旋回してグアム大学に向かいます。この間にも、外の景色、速度計、昇降計、高度計を頻繁に確認してエンジン出力と飛行姿勢を調整します。

 左手に見える滑走路の動きに注目して最終旋回のタイミングをうかがいます。ここぞというときに操縦桿を左に取ります。斜めに見えていた滑走路がだんだんまっすぐになってきます。真正面になる少し前で旋回を止めます。


 滑走路のセンターラインと速度計の速度を交互に確認しながらエンジン出力と飛行姿勢を調整します。

 滑走路が目の前に近づいてきます。滑走路の末端を過ぎたところでエンジン出力を最小にしぼり、地上すれすれのところで、操縦桿を引き、機体を水平に保ちます。

 そのままじっとがまんしていると軽い衝撃とともに着陸します。


着陸寸前


 「フルパワー!」と教官パイロットが大きな声で叫びました。「待っていました」。私も「フルパワー!」と復唱してスロットルをいっぱいに押しました。エンジンの力は強力です。すぐ60ノットに増速しましたので「60ノット」、「ローテーション」と言いながら自発的に操作しました。

 タワーは左のフライトパターンを指示していましたから8百フィートに達したところで「レフトサイドクリアー」、「レフトターン」と言い左90度旋回を行いました。上昇旋回中はバンク角を15度と浅く保たなければなりません。80ノットを維持しながら上昇します。

 「今度は左の遠くに見えている岬に向けてください」と教官パイロットからの指示です。すぐに変針が必要です。予定高度の千3百フィートにも迫っています。「岬へ向かいます」、「レフトサイドクリアー」、「レフトターン」と言い操縦桿を押しながら左に取り、千3百フィートを保ちながら左90度の変針を行いました。増速して百ノットになったところでエンジンをフルパワーから2千2百回転に落としました。

 素晴らしい景色です。左にはグアム国際空港の2本の滑走路が延びています。ジャンボが降りる滑走路ですから3千メートルクラスで雄大です。下には中心街のビル群が見えています。正面は緑の山と岬、右はサンゴ礁です。



グアム市街上空


 よそ見をしていても教官パイロットと世間話をしていても方位2百40度、高度千3百フィート、速度百ノットを示した針はほとんど動きません。フライトシミュレータの平山機長に、それは熱心に指導していただいたおかげです。少しでも外れると身体が無意識に修正してしまうのです。

 今は航空用語でいうダウンウィンドレグを飛行中です。ここで着陸許可を取るのです。「フルストップ」と言っているので今度の着陸でフライトは終了です。

 滑走路の末端が真横に来ました。教官が指示する前に「ランウェイナンバーアビーム」、「エンジン千7百」、「80ノット降下」と、松木さん絶好調です。教官パイロットは「はい」、「はい」を繰り返しています。



滑走路進入

 グアム大学の横で左90度旋回を行いベースレグに入りました。

 次にファイナルターンです。失敗しました。調子に乗りすぎて早めに入ってしまいました。滑走路が斜めに見えています。こうなると回復が大変です。滑走路寸前でようやくつじつまが合いました。


エンジンをアイドルにして滑走路のエンドが見え隠れするよう操縦桿を引いてはゆるめを繰り返します。接地は極めてスムースでした。


 地上に降り立つと満足感で気分最高となりました。南国の太陽、南洋植物の芳醇な香りを含んだ風が気持ちよく私を刺激します。

 私の様子をじっくり観察し、できるかぎり操縦を任せてくれた名教官パイロットに駆け寄り、両手で握手をして心から感謝の言葉を述べました。

 事務所に戻ると女性社員がオレンジジュースを用意してくれました。私はそれに飛びつき狂ったように飲みました。

 これには訳があります。実はここだけの話なのですが、私は昨日、「初フライトだ!」と飛ぶ鳥も落とす勢いでグアムにやってきました。ところが夕方から様相は一変しました。「やっぱりやめようか」という考えが急騰してきたのです。

 すっかり元気がなくなりました。飛ぶのが怖くなったのです。5千円もする夕食でしたが箸がほとんど進みません。大好きなステーキにも顔をそむけました。ため息がつづきます。

 何とか寝ましたが早朝覚醒です。私の泊まっているPICホテルからの景色は最高です。ベランダのベンチにゆったりと腰掛けて夜明けの景色を眺めることにしました。

 左には高級なヒルトンホテルが見え、正面は遠くにサンゴ礁があり大きな波がそこで止められていて「ザー」という連続音が聞こえます。サンゴ礁の内側の海はホテルのきれいなプライベートビーチまで鏡のように静かです。海水は薄い青色で透きとおり底まで見えています。

 ホテルの中庭にはプールがあり椰子の木、プルメリア、ブーゲンビリア、南洋桜に囲まれ鳥の声までして楽園のようです。右側には恋人岬が大きく突き出ています。



PICホテルからの光景


 こんな素晴らしい景色とは裏腹に私の心はブルーです。ため息がつづきます。風が吹いて椰子の葉が揺れるのを見ると強風下のセスナを連想して心臓がドキンとうずくのです。もう決めました。やめます。中止です。飛行会社の電話番号をメモしました。朝食後に中止の連絡することにしたのです。急に気が楽になりました。

 ところが、しばらくすると今度は「せっかくグアムまで来て、やめたらもったいないじゃないか」と私を責め立てる自分がいます。ちょっとだけ飛びたくもなりました。

 迷ったまま朝食の時間です。食欲はまったくありません。でも飛ぶかもしれないのでサンドイッチひと切れをジュースで流し込みました。そして中途半端な気持ちのままロビーで航空会社の迎え便を待っていたのです。人間はため息をつくと心身ともに楽になるということをはじめて知りました。

 航空会社の名前の入った乗用車が来ました。運転席から20歳くらいの優雅な白人女性が現れて「アーユー ミスター マツキ」と言いますから「イエス アイ アム」、「グッド モーニング」と答えてしまいました。

 当然のように車に案内しますから、当然のように乗ってしまいました。「怖いので飛行機はやめます」などと言うチャンスはありませんでした。もう逃げられません。

 フライトの終わった今、心はかって経験したことのないほどの幸福感で満たされていました。ところが、昨日の朝10時成田発の日航ジャンボで離陸直後に出された機内食を食べてから今まで、食べ物はほとんど口にしていませんでした。無事着陸して人心がつくと私の体は死ぬほどの空腹感に気がついたのです。

 大型コップのジュースを一気飲みした私を見て女子事務員は大笑しながらジュースをなみなみと注いでもう一杯出してくれたのです。

 ログブックを25ドルで新調しました。教官パイロットが「飛行時間60分」、「着陸回数2回」と記入し、「着陸が上手ですね」と言いながらサインをしてくれました。ひよこパイロットの誕生です。

 私をホテルまで送ってくれたのは40歳くらいで米海軍出身の人でした。飛行機の操縦、整備、操縦教本の作成、事務仕事、何でもこなしています。自家用機を持って南の島々を飛ぶのが楽しくて、この航空会社に入ったのだそうです。

 「私も日本海軍で32年勤務した退役軍人です」と言うとたいへん喜んで話が弾みました。軍人仲間と言うのは、お互いに過酷な軍隊経験を持っていますから、国境を超えて親兄弟以上に仲がよくなります。海軍の専門用語もよく通じます。帰り道に名所旧跡を案内してくれ、グアムの見どころもとても親切に教えてくれました。土曜日の夕方にはバーベキューにも招待してくれるなど、とても大切にもてなしてくれました。

 海上自衛隊員は日本ではなかなか理解してもらえませんが、アメリカ人は軍人をとても大事にしてくれます。命のかかった職業ですから世界の常識からすれば当たり前のことかもしれません。米国留学中も私は「海軍少佐」という身分で、それは丁重に扱われました。この異国の地で、32年間の厳しい海上自衛隊勤務の苦労が報われたような気がして、急にうれしくなりました。

 平成14年5月10日のことでした。


その後も、毎年数回、グアム、サイパン、テニアン、セブ島(フィリピン)の空を飛んでいます。

調布飛行場のフライトシュミレータも忘れません。

もちろん家ではひまさえあればパソコンのフライトシュミレータで訓練をしています。飽きるということはまったくありません。


         松木


操縦席の私


(追記)

セブ島での私の体験操縦記が航空会社のホームページに掲載されています。よかったらご覧ください。次の「セブ島遊覧飛行」のホームページを開き、「お客様の声」、「私の写真の下のメッセージ」、「私の写真の下の松木様の体験操縦記」をクリックすると文面が出ます。
   セブ島遊覧飛行

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