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安芸二号便り21『国際救助犬試験に挑戦』 三浦の羊飼い


 長野県富士見高原は、八ヶ岳山麓の中央本線小淵沢駅から車で二十分ぐらいの所にある。五月の週末を利用して、飼主は一人でそこへ出掛けて行った。

 所属するNPO法人が主催する国際救助犬試験を、安芸が受けることになったのである。

 安芸のこれ以上の訓練参加には反対だったカミサンは、この時期偶々ゴルフで北海道に行ってしまったので、飼主も遠慮なく二泊三日の高原の旅に出掛けた訳である。

 標高千メートル以上の高原だけに夜は寒いくらいだったが、三日間とも快晴に恵まれ日中の日差しはかなりきつく、軽く日焼けしたほどである。

 試験は、国際救助犬連盟(IRO)の規定に基づき行われ、安芸は瓦礫捜索試験A段階という種目に出場した。

 救助犬による捜索の種類は、地震等による建物倒壊現場を想定した瓦礫捜索と、山林・草原での行方不明者を想定した広域捜索の二種類があり、A,Bの順で高度な試験となる。

 今回安芸の出場は今回決まったので、指導手(ハンドラー)はもちろんS訓練士であり、飼主はもっぱら応援という気楽な立場である。

 安芸は、特訓と準備のため試験一週間前から、訓練士に連れられて行ったが、わずか一カ月足らずの訓練期間だったので、飼主もあまり期待はしていない。

 会場となった地元富士見町の受け入れ態勢は万全で、会場に適した場所の提供や、地元有志による昼食の炊き出し・提供、宿泊場所の確保について大変協力的であった。

 また、この付近で犬の競技会が行われるのは珍しいのか、新聞社からの取材もあり、地元二紙でかなり大きく報道された。

 飼主は試験一日目の昼頃会場に着いたが、安芸の出番は翌日の午後の予定である。ところが、S訓練氏は全ての試験が終わる三日目の午後まで面会謝絶だという。久し振りに会う飼主を見て興奮するからである。

 前回は、三日ぶりに対面した飼主にものすごい勢いで飛びついて着地の際、左脚を脱臼してしまったという苦い経験がある。

 二日目の午後、安芸の出番の「瓦礫捜索A段階」が始まった。この試験は、約千平方メートルの会場のあちこちに積み重ねた木材やトタンの下、ドラム缶の中などに隠れている被災者役の人(二名)を制限時間(15分)内に捜し出すものである。犬は会場内を自由に動き回れるが、指導種の移動範囲は限られているため、犬自身の能力と指導手の的確な判断が重要となる。

 犬の嗅覚は、人の何万倍もの能力があるので当日の風の状況を見て捜索計画を立てる指導手の頭脳的な能力も必要である。

 被災者の存在を探知した犬は連続咆哮して指導手に告知する。そこで初めて、審査員の指示により指導手は瓦礫内に立ち入り、現場の状況を確認することが出来る。

 捜索作業の直前及び作業中は、捜索隊員に仮想した最低三名のヘルパーが敷地内を歩き回るほか、焚き火を焚く、エンジン音を出す、ハンマーをうち下ろす、ドラムを鳴らす、敷地外での銃声を上げるなどして犬の集中力が審査できる状況を作り出す。

 結局、安芸はこの試験で一名しか発見できず、特点は二〇〇点満点の一〇九点だった。各種目の七十%以上が合格なので、安芸はこの種目不合格となった。

 飼主は、安芸に見られないように遠く離れた車の中から見ていたが、当初風上に居たためか、安芸が飼主の臭いを捕り、時々捜していたようだったと見学していた者が教えてくれた。

 翌日、指導手の指示に適切に従うかを試す「服従」と、瓦礫等悪い足場を苦にしないで作業できるかを見る「熟練」の二種目が行われた。安芸の成績は、服従には僅差で不合格、熟練にはかろうじて合格であった。

 安芸が最後の種目を終了するのを見て、やっと飼主は車から出て行った。

 審査員の講評を聞いていた安芸は、目ざとく飼主を見つけキョロキョロし始めた。しかし、前回のように異常な興奮はしないで、むしろ遅かった飼主の登場を冷ややかに咎めているように見えた。

 列車の時間が迫っていたので、降り出した小雨の中での対面は十五分で打ち切らねばならなかった。

 結局、参加全十九頭のうち合格したのは瓦礫捜索A段階で三頭、B段階で一頭、広域捜索A段階なし、B段階で一頭という厳しい結果となった。このうち、B段階合格二頭が、六月末フランスで開催されるIRO世界選手権に出場することになった。

 合格犬五頭のうち、最も若いのは、珍しいベルジアンマリノアという犬種の四歳の雌で、平均年齢は六歳である。

 安芸は、まだ三歳四ヶ月だから将来性はあり、決して見捨てたものではない。特に今回は出場を急に決めたので訓練不足は否めなかったからだ。

 飼主はそう思って慰めることにしたが、帰ってカミサンにどのように報告すればいいのか気が重く、特急あずさ号で富士見高原を後にした。

 三日間居て、安芸との六日振りの対面は僅か十五分。秋の救助犬試験には自ら指導手で出ざるを得ないか。飼主は、車中苦い缶ビールを飲みながら考えていた。(第21回了)

                             三浦の羊飼い

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安芸二号便り22『救助犬一年生安芸の憂鬱』 三浦の羊飼い


 今年は空梅雨かと思われる日が続いたが七月に入ってから関東には結構雨が降った。いつも安芸の昼寝の定位置になっている庭の紫陽花の花も何故か今年は殆ど咲かない。

 国際救助犬試験が終わってから、飼主も安芸も忙しくなってきた。毎週土曜日の訓練所での訓練に加えて、日曜日には県北西部H市の旧警察署庁舎での現地訓練に通った。取り壊しになる警察署庁舎をH市が管理することになり、県警本部を通じて瓦礫捜索の訓練場として活用しては、との話があったのだ。建物の解体工事の現場の様子は、まさに大震災など災害現場の状況に近い。真っ暗な室内に散乱したガラスの破片、倒壊した鋼材、木材やコンクリートの瓦礫の山等々得難い訓練場である。

 普段の人工的な訓練場と実際的な現場との違いは貴重な経験となり、また瓦礫等で動けないでいる被災者の臭いを探知する訓練は大変良い体験となる。安芸は、このような実際的な現場での訓練は初めてであったが、恐いもの知らずというか、どんな場所でも異常に興奮して平気で猪突猛進していく。ヘルパーに被災者になって貰い、最初は発見がし易い場所に隠れて貰い、回を重ねるごとにパネルの下とか天井とか難しい所にレベルを上げていく。

 その点で警察署跡は、取調室とか留置場とか小部屋や複雑な構造の所が多いので訓練場としては、お誂え向きである。安芸も訓練を重ねるごとに、技量も向上し、最初のように異常に興奮しなくなってきた。

 そんな時のある日、また安芸が厄介なトラブルを起こしてしまった。散歩中によその犬にかみついたのだ。散歩中に出会う犬の殆どは、安芸と仲良しであるが、シュナイザーの三頭連れだけとは、どうしても相性が悪くいつもお互いに遠くから直接すれ違うのを避けることにしている。

 しかし、今回の相手はニューフェースで、ハスキーの雑種で十一歳の雌である。夜十時頃自宅近くの路上を散歩中、飼主が安芸の排便処理を終わって立ち上がった途端、左手に持っていたリードを振り切って安芸が疾走したのだ。約五十メーター程走って相手に襲いかかった。飼い主は大声で制止をしたが、間に会わなかった。相手の飼主もびっくりしたと思うが、最近訓練に入れ込んでいただけに飼主も相当ショックであった。

 二年前にも同様の事故があったが、その頃は安芸も若く、訓練も不十分だったのでやむを得ないかなと思っていた。しかし、今回だけは原因が分からず飼主は安芸に対して不信感を持ち、「保健所に連れて行くぞ」と脅かすのがやっと。尤もカミサンに言わせれば、全ての責任は飼い主にあり、「あなたも安芸と一緒に保健所に行きなさい」と言われた。

 その保健所から飼い主の留守中聞き取り調査に来た。先方の飼い主が訴えたらしい。深刻な事態に驚いた飼い主は、早速保健所に出頭して事情を説明した。担当官からは、「動物の愛護と管理に関する法律、条例」等について懇切丁寧な説明を受け、狂犬病の診断を受けるようにとか散々油を絞られた。いかなる理由にせよ、大きな若い犬が小さい老犬をかんだということで非は当方にある、と飼主は神妙にせざるを得なかった。

 安芸は、事態の深刻さを察知したのか、その後数日は恭順の意を表して静かにしていた。しかし、保健所の指導もあり、先方の理解を得るため、飼主は訓練士と相談して、更なる恭順の姿勢を示すことにした。

 即ち、服従の再錬成訓練を二日間訓練士のところで実施した上、自宅周辺で散歩要領、特に排便時の処置要領について実地訓練をすることにした。更に念のため、安芸には口輪を着けて相手方に安堵感を与えることにした。

 口輪を着けた安芸は、むずがゆいのか盛んに嫌がったが、傍目には殊勝な態度に見受けられた。これらの厳しい処置が効いたのか、事件後、急におとなしくなり、小屋の中でしょんぼりとしていることが多くなった。前年の梅雨時期は前足を切られるという災難にあい、安芸にとって、憂鬱な日々であったが、今年は飼主一家にも鬱陶しい梅雨時期になった。

 飼主は、自分の油断を後悔したが、どうしても安芸の突発的行動の原因が分からず、とうとう、安芸の出生地吉浦まで電話をした。すると、安芸の兄貴分に当たる松之助にもその傾向があり、自分より弱そうな犬に向かって行ったことがあるという。これは、先天的なものでなかなか直らないとのこと。しかし、救助犬は被災者を発見しその命を助けるのが第一任務。瀕死の被災者に恐怖感を与えたり、危害を加えたりするような犬はまず失格である。

 いくら先天的なものでも、あきらめる訳には行かない。

 そんなことを考えている時に、飼い主は「犬の十戒」という原作名不詳の英語の詩があることを知った。犬から飼主に送る十箇条のメッセージの形をとっている。要するに犬に飼主の戒めである。ネット上でまたたくまに広まり、最近はこれに関する書籍が数冊出版されるほどの人気だそうだ。犬を飼っている親戚の者から送られてきたその訳文を読んで、飼主はドキリとした。

 「その四―私を長いこと叱ったり、罰として閉じこめたりしないで下さい。あなたにはあなたの仕事、あなたの楽しみ、あなたの友達がいます。私にはあなただけしかいません」

 「その七―私を叩く前に思い出してください。私はあなたの手の骨を簡単に過網砕く歯を持っています。でも、あなたを噛まないと決めていることを」。

 安芸は安芸なりに、その小さい頭で考えているのか、それにしても救助犬の道は前途多難である。(第22回了)

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安芸二号便り23『安芸一家の一番長い日』 三浦の羊飼い


 六十回目の終戦記念日は暑く、長い一日であった。

 報道によれば、この日政府主催の全国戦没者追悼式が天皇、皇后両陛下をお迎えして日本武道館で開かれ、約六千三百人が参列したという。

 戦没者の遺族は約五千三百人で、そのうち子供が約三割を占め、親の参列は初めてゼロになり、妻も十年前の九分の一となる約百九十人。

 また、同日東京・九段の靖国神社には炎天下の中、若者から遺族、戦友まで幅広い世代が訪れ参拝者は過去最高の二十万五千人に達したという。郵政解散の中、この数字は日本の敗戦や靖国神社に国民の関心が高いことをうかがわせるものなのかどうか。ここ数年で最も多かったのは、小泉首相が八月十三日に参拝した平成十三年の十二万五千人。

 靖国神社には、基本的には国が「公務死」と認めた人たちが祀られる。

 日清・日露戦争、大東亜戦争などの戦死者のほか、吉田松陰、坂本竜馬ら明治国家建設の基礎を築いた幕末の志士らも合祀されている。将官も兵卒も同じように扱われ、沖縄戦で没した「ひめゆり部隊」の女子学生ら国家の命令でその場を離れることが出来ずに亡くなった人も祀られる。昭和二十八年以降政府は戦犯を「公務死者」と位置づけ、靖国神社は昭和五十三年、A級戦犯十四名を合祀した。

 公務中、事故等で殉職した自衛官を靖国神社に祀ることについては、違憲訴訟にまで発展したこともあるが、終戦直後の航路啓開業務で殉職した数十名の掃海隊員が祀られていることはあまり知られていない。

 今年も五月末の土曜日、香川県琴平町で掃海殉職者追悼式が行われた。五十四回目を数える追悼式は、十余名の遺族、海上自衛隊掃海関係者を含む二百名以上の参列者を迎えて、海上安全ゆかりの「金毘羅さん」参道脇の「掃海殉職者顕彰碑」のある小さな森で、盛大かつしめやかに行われた。

 この碑は、昭和二十七年、兵庫・香川両県知事はじめ、海にゆかりのある三十二都市の市長が発起人となって建立され、碑文は当時の首相吉田茂によって揮毫された。

 先の戦争中、瀬戸内海及び日本近海には日米両軍により六万七千個に及ぶ各種機雷が敷設されたが、戦後掃海部隊はこれらの膨大な機雷の掃海に従事して総面積五千キロ、百八十箇所に上る主要な航路、港湾泊地を啓開し、日本の産業経済の復興に貢献した。

 この間、掃海関係者は風浪と戦い寒暑を克服して危険な作業に挺身したが、不幸にも掃海艇の触雷・沈没等により七十九名の殉職者が出た。

 この中には、朝鮮戦争時米軍の要請により極秘裏に朝鮮海域に出動した日本特別掃海隊の殉職者一名も含まれている。

 全国戦没者追悼式で今年三割を占めた戦没者の子供は、戦争を体験した世代と同様、今後限りなくゼロに近づいていき、必然的に戦争体験は風化していく。

 戦後の占領混乱期に、人知れずわが国の海運再建、経済復興に尽くし犠牲となった、七十九名の掃海殉職者の事績も忘れ去られていくに違いない。

 掃海殉職者追悼式は、毎年海上自衛隊呉地方総監を執行者として行われているが、年とともに遺族は少なくなり、発起人である全国三十二港湾都市からの出席者も殆んどなくなってきている。

 八月十五日付産経新聞社説は、「分水嶺となる戦後六十年」と題し、中西輝政氏の「歴史観の六十年周期説」を紹介している。

 多くの人々の歴史観を決定づけるような大戦争や革命は、六十年ほどたつと評価や見方(歴史観)が不思議なくらい変わるという。

 またこの日、テレビの特集番組として、日本人とアジア各国の若者たちの討論を放送していたが、安芸の飼主はこれを見て、日本の若者は自分の国の近現代史をあまりにも知らな過ぎるというか、教えられていないことを今更ながら強く認識させられた。

 近代日本が国家の体をなした明治憲法公布から約六十年で、大日本帝国は始めての敗戦、国家の解体・経済の崩壊という試練を迎え、新生日本としてスタートしてさらに六十年。

 最近また、中学生の歴史や公民の教科書の内容が論議を呼んでいるが、米国の約十倍の国の歴史の長さを持つわが国の場合、何を重点に記述するか大変難しい問題である。

 飼主の世代は、明治以降の日本史は学校ではほとんど習わなかったような気がする。あるいは、意図的に教えられなかったのかもしれない。

 しかし、十四,五歳の彼らが、それから六十年生きるとすれば、その前の六十年、さらにその前の六十年、すなわち日本の近現代史ぐらいは丁寧かつ正確に学んで、また教えてもらいたいものだ。

 昨年は、暑い四国で懲りたので、この夏は岩手県の高原で過ごした安芸の飼主一家は、帰途交通渋滞に巻き込まれ、十五日未明の帰宅となった。

 飼主夫婦は、それでも少し眠った後、終日テレビの前で終戦記念日特集番組とか、戦後六十年記念日本映画特集にかじりつき、カミサンは盛んに特攻隊のシーンで涙を拭いていた。

 安芸二号は八月十五日には無関係で、朝早くから起こされて寝不足のせいか、少しでも涼しい所を求めて庭の中を徘徊し、ただただ暑くて長い一日を過ごしたようである。(第23回了)

                                三浦の羊飼い


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安芸二号便り24『災害救援活動の教訓』 三浦の羊飼い


 「防災の日」の九月一日を中心とする防災週間には、今年も全国各地多くの防災訓練が行われた。安芸二号の所属する救助犬協会も、六自治体主催七箇所での防災訓練に参加し、人も犬も多忙な一週間であった。

 防衛庁・自衛隊は、防災週間を利用して、陸海空自衛隊の統合運用による統合防災演習を実施した。このうち九月一日には、首都直下地震に対応する政府総合防災訓練と連携し、千葉市での八都県市合同防災訓練に隊員約千人、車両約百五十五両、航空機約五十五機、艦艇四隻を参加させて、部隊集中・輸送、広域医療搬送、広域応援部隊輸送の各訓練を演練した。

 そんな中、飼主の所属する協会の訓練士達が、三浦半島武山にある陸上自衛隊駐とん地を訪問した。予備自衛官の召集訓練で行っている災害派遣の訓練状況を研修することになったのだ。

 一行十名は、約二時間にわたり陸上自衛隊の災害派遣のしくみや初動態勢等についてブリーフィングを受け、自衛隊の保有する人命救助セット等の装備品の取り扱い訓練の状況を見学した。

 一食三百数十円の有料喫食のあと、今度は約二百名の隊員に対し、救助犬の訓練展示を行うことになった。かわいい小学生ではなく、屈強な隊員の前でいつもと勝手がちがうのか、やや上がり気味の訓練士に犬が戸惑ってミスする場面もあったが、普段見慣れない救助犬の人気は上々であった。

 わずか三十分足らずのデモではあるが、犬の嗅覚による初度捜索の有効性についての認識を新たにし、また、決して特別な犬ではない普通の家庭犬を、「服従」「熟練」等の段階的な訓練により救助犬に仕上げることが出来ることを、十分理解してもらえたようである。

 次の日曜日には、南足柄市で県市合同の防災訓練が実施され、犬六頭訓練士七名が参加した。飼主は、本部席に座っていたが、そこでは顔なじみの自衛隊の連隊長や、地方連絡部長、防衛部長に会うことが出来た。

 訓練は、神奈川県西部を走る断層帯地震の発生を想定し、自主防災組織、防災関係機関とボランティアなどが参加し、地域の防災力や関係各機関の相互連携体制の強化を図るため実施する総合防災訓練ということであった。

 救助犬チームは、「災害救助犬を活用した倒壊家屋からの救出救助」という訓練に登場した。県警機動隊、陸自、空自の三つの救助部隊に配属された救助犬を投入して倒壊家屋の中の生存者の有無を確認した後、救助部隊を投入するという手順で実施された。訓練展示は十五分程度であるが、救助犬の役割分担が明らかにされたこともあったのか好評であった。

 救助犬チームと救助部隊との連携も一見スムーズに行われているようだが、実は一緒に訓練したのは当日が初めてであり、県警本部は救助犬についてかなり理解はあったものの、自衛隊とは、訓練の実施要領の調整段階において相互の認識不足もあり、かなりの齟齬があった。

 警察はいわば地方区であり、救助犬出動チームは現地ではどちらかといえば全国区である自衛隊と接触する機会が多い。現に、平成十六年新潟県中越地震で協会の救助犬チームが出動した時も、一番現地の状況を的確に把握していたのは自治体の対策本部ではなく、自衛隊の指揮所だったという。

 しかし、民間の一ボランティアチームが迷彩服、ヘルメット姿の自衛隊員に接触するのは、普段からの交流がなければなかなか出来ないものだ。そういう面で、武山駐とん地の訪問は大変意義があり、このような平素の交流や協同訓練を通じての相互啓発、技量の向上がいざという時の大きな力になる。

 折しも、米国南部で未曾有のハリケーン災害が発生した。被害が拡大した原因は、いろいろ言われているが、初動段階で連邦緊急事態管理庁(FEMA)が機能しなかったことと軍の投入が遅れたことは間違いないようだ。

 関東大震災の時も、掠奪、暴行、私刑が行われたようであるが、発生初日から陸海軍は警備・救護のために出動し、二日目以降は戒厳令の施行に伴い本格的な治安の維持及び罹災者救助に当たっている。

 阪神淡路大震災の際、陸自の某指揮官は県からの派遣要請の遅れに悔し涙を流し、海自の某指揮官は辞職覚悟で救援艦艇を派遣し、指揮所を被災地の真ん中に移した。これを教訓として、災害派遣の要請がない場合でも、ある条件下では部隊が出動できるよう防衛庁で法令が改正された。

 スマトラ沖大地震では、米海軍は発生三日目に空母「リンカーン」部隊をスマトラ島沖に派遣して災害救助に当たった。日本は、国際緊急援助隊と称して陸海空自衛隊を派遣したが、最も早く到着した空自の空輸隊が十三日目、主力の陸・海自部隊が到着したのが三十日目という国際的にも類を見ない遅さであった。因みに、インドネシアには二十三か国の軍隊が派遣されたが、発生後十一日以降に到着したのは、日本のほかタイ(被災国)、エジプト、ブルネイ、スイス、スペインの五ヵ国である。発生二日目に偶々付近を航行中の海自艦艇三隻がタイ国政府の要請を受け、五日間捜索救助活動に派遣された実績の故なのか、なぜかマスコミはこの遅れを糾明しない。

 いずれにせよ、これらの教訓から、国民の生命、財産にかかわる大規模災害の救援活動において軍の投入は、「初動全力」が原則であることが分かる。

 防災週間では出番がなく体をもてあましていた安芸も、朝晩大分涼しくなったせいか動きがやや活発になって来たが、時々飼主を無視している。十月の救助犬認定試験に向け、そろそろ徹底的な再練成訓練が必要である。(第24回了)

本号に出てくるNPO法人「救助犬協会」(RDTA)の活動の状況が、下記のホームページに出ております。

   RDTA救助犬訓練士協会


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安芸二号便り25『ロンドン・パリ見聞録』 三浦の羊飼い


 第四十四回衆議院総選挙当日は、ニューヨーク同時テロ四周年のその日だったが、飼主は安芸をカミサンに任せて空路パリ・ロンドンの視察旅行に出かけてしまった。

 約十日間の短い旅から、帰ってみると必ずしも総選挙の結果のせいでもあるまいに、この国にはなんとなく活力があふれているように思えた。パリは初めてだったが、十二年ぶりに訪れた英国は独特の、かび臭く重厚感のある街頭の雰囲気から、そう感じたのかもしれない。

 実際、パリ、ロンドンとも市街は二百年以上経つと思われる石や煉瓦造りの建物が殆どで、パリはやや垢抜けしているものの、ロンドンは煤けた様な色合いで陰気くさい感じがする。

 この国の帝国主義時代の植民地の数からすれば当然なのであろうが、ピカデリー・サーカス等の繁華街では、中国、アフリカ、インド、中東系等多種多様の人種が、観光客と一緒にごったがえし、ひしめいている。

 古い建物や狭い道路、人と車で混雑している様や、ホテルの従業員のサービス感覚からは、どこかの後進国に来ている印象すらあった。事実、ロンドンに一年以上駐在している知人の話では、地下鉄などは遅れて当たり前。治安は悪いし、水も安心して飲めず物価も高く、この国は先進国だと思っていたらとても暮らせないとのこと。

 これでは、テロがいつ起こっても不思議でない気すらするが、市民はそんなことには無関心のように見える。この夏、生起した連続テロの際も、ロンドン市民はいつテロが起こるかではなく、起こったらどうするかにもっぱら関心があったとのことで比較的平静だったという。交差点や地下鉄の出入り口などあらゆる所に監視カメラが作動しており、これが迅速な犯人逮捕に役立ったそうだ。きっと、東京で同じことをすると、人権問題とか何とかでヒステリックに騒ぎ立てるに違いない。

 一日、英国南岸の軍港ポーツマスを訪れる機会があった。千二百年頃から開かれたというこの古い港町には、二百年前トラファルガル沖の海戦でフランス・スペイン連合艦隊を破った英国艦隊ネルソン提督の旗艦ビクトリア号が記念艦として一般に公開されている。この六月には、トラファルガル海戦二百周年を記念して国際観艦式が行われ、日本の練習艦隊三隻も参加している。

 英国では、ビクトリア号とトラファルガル海戦、ネルソン提督は小学生でも知っているそうで、ロンドン中心街のトラファルガル・スクエアには救国の英雄としてネルソン提督の像が天高く聳えている。

 滞在中の一日、たまたま自由時間が出来たので、同行の友人とロンドン郊外テームズ川下流にあるグリニッチに小旅行をした。グリニッチは、落ち着いた雰囲気の街で、一六七六年に設立された王立天文台は経度ゼロに位置し、世界標準時になっている所である。行きは地下鉄と鉄道を乗り継ぎ、帰りはテームズ川を遡り、両岸に居並ぶ古い船着場や煉瓦造りの建造物に、産業革命時代からのロンドン盛衰の歴史をうかがい知ることが出来た。

 第二次世界大戦で日・英両国は敵味方で戦うという時期もあったが、戦後は英国王室とわが国の皇室との絆の復活もあり良好な関係を保っている。しかし、意外と英国王室の歴史はわが国皇室の半分に足らない千年弱である。

 帰国してまもなくのこと、パキスタンで大地震が発生した。例によって飼主は、緊急援助活動に関する各国の対応に注目していた。報道によれば、翌日の夜までには日・英両国とも国際緊急援助隊(いずれも七十人規模)を現地に派遣したが、その公表文が両国の国情を反映していて興味深い。

 英国は米国と同様、「英政府の緊急支援の申し出をパキスタン政府が受け入れた」というのに対し、わが国政府は「パキスタン政府の要請を受け、国際緊急援助隊の派遣を決定した」といういつもどおりの文書。いかにも根拠法規にこだわる官僚の作文であり、決して外交上の表現とは言い難い。

 現地発の共同通信は、日本の緊急援助隊が到着したその日に、英国の救助隊が捜索犬を使って瓦礫の中から住民を救出したと伝えていた。英国の場合も日本と同様、救助犬は民間団体がボランティア的に派遣するが、当初から緊急援助隊のメンバーに組み込まれているようである。因みに、同じ日、民間団体の救助犬二頭が成田から現地に向かうとの報道があった。大地震の場合、救助活動は時間との闘いといわれているが、地震大国日本にしてはなんとも悠長なことである。

 そういえば、日曜日午前中のグリニッチ公園や早朝のハイドパークで見た大型犬は、リードもつけないで嬉々として飼主と一緒に散歩していたし、公園内には犬専用のゴミ箱が備え付けられていた。同じような光景をパリの街頭でも見受けたが、普段から人と犬が自然に一体となり、共生している。英国はやはり先進国である・・・。

 そんな時、英国大使館にバーべキュー・パーティに招かれた。気さくな雰囲気だったその席で、飼主は二、三の英国人に、今回の旅行の印象を率直にぶつけてみた。すると同じような答えが返ってきた。「ロンドンは決して英国ではありません」と。

 十日振りに見る安芸二号は、受験前の特訓のせいか体も引き締まり、服従心も向上していた。飼主は、ロンドンのブランド店で勧められた安芸の土産の首輪とリードが、二百ポンドもしてカミサンのマフラーより高くつくので断念したことを後悔した。(第25回了)

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