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安芸二号便り26『救助犬試験の失敗と教訓』 三浦の羊飼い


 国内における国際救助犬連盟(IRO)の公認審査員の行う国際救助犬試験は安芸二号の飼主の所属する協会が主催して年二回行われる。

 安芸は、本年五月の試験に、S訓練士が指導手で初めて参加したが、ひそかに見学していた飼主の臭いに惑わされたせいもあり、惜しくも落選してしまった。

 この教訓から、十月の試験には飼主が指導手として参加することになった。梅雨の時期や夏休みのほか、九月には飼主の海外出張もあり、実質的な訓練期間は週三回の一ヵ月程度となった。それでも猛暑の夏の間、毎週末車で二時間かけて県西部H市にある警察署庁舎の解体現場に通い、実際的な捜索訓練を重ねることが出来た。

 試験は、服従、熟練、瓦礫捜索の三種目である。「服従」は、犬が飼い主の命令指示にいかに忠実に従うかを見る、基本中の基本というべきもので、いわゆる使役犬に共通の技能。「熟練」は、救助犬として活動するために不可欠の基本術力で、足場の悪い所や梯子の上を歩いたり、障害物を越えたり、遠くからの飼主の指示どおりに動いたりする応用的技能。「捜索」は、広い草原や倒壊家屋の瓦礫の中で行方不明の人を捜索発見する技能で、いわば「服従」と「熟練」をベースとした総合能力。「服従」「熟練」は、各五十点、「捜索」は二百点の配点であるが、すべての種目について七十%をとらなければ合格とならない。

 試験は、三日間にわたり、横浜市内の県営アパート跡地で行われた。飼主は、初めて安芸の指導手として参加し、「瓦礫捜索A段階(初級)」試験に挑戦した。一日目は公開練習が行われたが、安芸の仕上がりはおおむね上々である。二日目は、抽選でいきなり「捜索」の審査となった。規定の十五分以内に、解体寸前のアパートを倒壊家屋にみたて、屋内または屋外に取り残されている仮想の被災者二名を発見しなければならない。捜索は安芸の得意種目でかつ夏の実地訓練の実績もあり、飼主は内心、最初の試験科目としては悪くないと思っていたが、結果は一人も発見できず不合格。この日見学していたカミサンには余程ショックだったのか、とうとう翌日は頭痛がするといって見に来なかった。

 気を取り直して、三日目の早朝から「服従」の試験を受けたが、本番では異常に興奮する安芸にしては上出来で、以外にも合格。引き続いて「熟練」に移行したが、安芸は、最初から落ち着きがなくやや集中力に欠けている様子。バレル・シーソー・梯子渡り、幅跳び、トンネルくぐり、瓦礫歩行とおおむね無難に進行したが、飼主は最後の遠隔操縦で裏切られてしまった。約二十五〜五十メーター離れた犬に対し、左・右・直進の指示をして思うとおりに犬を動かせるかをチェックするもの。審査員から飼主への指示は、最初に直進であったが、安芸は飼主の直進指示で左の台に猛進してしまった。飼主は、すかさず修正指示をしたものの、犬の方が混乱してしまい、結局試験中止になってしまった。当然、この種目不合格。

 審査員のコメントで、飼主と安芸の基本的訓練は出来ているが、飼主に対する犬の服従心が薄くメリハリの効かないものになっているので、普段から徹底して訓練やしつけをする必要があると指摘された。最終的に瓦礫捜索A段階で合格したのは、参加した二十頭のうち一頭のみで、指導手は二回目の出場、女性のTさんである。

 飼主は、試験を見学していたベテランの老訓練士から、犬に対する訓練は良く入っているが、訓練のための訓練をしていませんかと聞かれた。また、安芸担当のS訓練士からは、「捜索の時指導手が動き過ぎ。もう少し犬の自主性に任せたほうが良い」と言われる。更にカミサンからは、「相手が女のように最後に裏切られたというけれども、元々信頼関係なんかなかったんじゃないの」という手厳しいコメントも。
確かに、試験当日の飼主の服装は、協会で新調した防災服に安全靴、前日購入したばかりのヘルメット、懐中電灯、皮手袋といったいでたちであり、安芸も普段の見慣れたジャージー姿からは異様に感じたに違いない。

 飼主も、近くでチェックしている審査員を意識し、わざと余計なジェスチャーをしたり、犬に指示を出したりする。いつもどおり行動している犬は、飼主の動作を見て自分の行動に不安を感じ中途半端な捜索となる、これを見て飼主は更に必要以上の指示を出す、といった悪循環に陥り、犬も人も普段の訓練時の能力を発揮できなかったということなのであろう。

 これを要するに、普段の訓練は実際と同じようにやり、犬を信じ込んで任せてしまうということではないか。どこか身に覚えがあると思ったら、飼主の長い公務員生活で体得した仕事のやり方と部下統率の極意そのものであった。 結局、今回の試験には犬二十六頭、指導手十六名が参加したが、合格者はA段階(初級)で一頭一名、B段階(上級)で六頭五名という厳しい結果となった。合格した指導手は、いずれも若い訓練士か飼主の人たちであり、参加者中安芸の飼主が最も年長である。

 ベテランの訓練士から、今回ドイツから来た厳しいことで有名な公認審査員のメモの安芸二号のところに、犬は○、指導手は×印がしてあったと慰められ、飼主は複雑な心境になった。今回の試験を通じて飼主は、たかが犬の訓練と思って初めから甘く見ていたことを恥じた。犬は優秀、飼主は俗にいう六十の手習い、明日から初心に帰ってやり直そうと心機一転を図ったものの、当面の難関はカミサンの説得である。(第26回了)

                             三浦の羊飼い


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安芸二号便り27『冬の靖國に思う』 三浦の羊飼い


 平成十七年も残すところ旬日となった。安芸一家のカミサンにとり今年は、正月の転倒捻挫に始まり、十一月の肺炎で入院するというアクシデントで終わりそうだが、とんだ厄年であった。三歳になった安芸は二回も救助犬試験に落ちた上、またも散歩中の小型犬に噛みつくというトラブルを起こし、一時恭順の意を表していたもののその後反省の態度は全く見られない。還暦を迎えた記念すべき年に救助犬ボランティア活動を始めた飼主は、自ら安芸の指導手として挑戦した試験に見事落ちてしまった。

今年は、日本海海戦百周年、トラファルガー海戦二百周年に当たり、国内外でその記念行事が行われた。飼主は、横須賀の旗艦「三笠」で行われた日本海海戦の記念行事に参加でき、トラファルガー海戦の方は、秋の英国出張で十二年ぶりに旗艦「ヴィクトリア」号への再訪がかなった。

 また、今年は終戦六十周年にも当たり、戦艦大和が話題を呼んだ。四月にオープンした呉市の大和ミュージアムは、半年で来館者が百万人を越えるという盛況となり、年末には映画「男たちの大和」が封切された。辺見じゅん氏の原作で、これまでの大和物とは違って十、二十代の乗組員を中心に「愛と死」をテーマに描いた大作である。

 そんな一年を締めくくるというほどの意味はないが、関東地方が寒波に覆われ富士山がよく見える一日、飼主はぶらりと九段の靖國神社を訪れた。前回来た時は桜が満開、花見客で混雑していた境内は、今は人影もまばらで銀杏の落葉が木枯らしに舞っていた。

 遊就館の前には、戦後奉納された軍犬慰霊像、戦没馬慰霊像、鳩魂塔があり、館内入って直ぐ、「つわものたちは国家の命ずるところに殉じた」と言う言葉が目に入ってきた。どこかで聞いたことがある、と思ったら、確かワシントンにある第二次大戦かベトナム戦争の記念碑の場所で見たような気がする。


 軍犬慰霊像の説明文によれば、シェパード犬を中心とする軍犬の大半は、「あるいは敵弾に斃れ、あるいは傷病に死し、終戦時生存していたものもついに一頭すら故国に帰ることがなかった」という。日本の軍犬は、満州事変以降特に中国戦線で活躍しており、満州鉄道の警備や匪賊掃討で数々の功績を挙げている。中でも、北大営という所の激戦で、「名誉の戦死を遂げた」金剛、那智号の話は感動的であり、当時の小学校の国定教科書にまで採用されたという。

 これら軍犬の用法は、歩哨・線路巡察・斥候等の警戒勤務や格闘、伝令等多くの分野にわたり、兵士に叙位叙勲があるように「軍犬功章」制度があり、功績に応じて甲乙丙の三種類があったという。


 今年も、「靖國問題」は総理の参拝も含め、国内外で格好の話題となった。一方、戦後六十年目の終戦記念日には例年を大幅に上回る二十万人以上の参拝者が訪れ、しかも高齢者の戦没者遺族に交じって若いカップルや親子連れ、学生らの姿が目立ったというから、靖國参拝は戦没者遺族の世代からその子や孫の世代へと確実に受け継がれているといえる。

 十二月はじめ、飼主夫婦は東京で行われた映画「男たちの大和」のプレミア試写会を見に行った。挨拶に立った二、三十代の若い俳優たちが出演を通じて、「水上特攻で国のため、愛する人のため、二度と還らなかった大和の乗組員の人たちのような尊い犠牲の上に、今の日本の平和な生活があることを認識させられた」と一様に述べていたのが印象的であった。

 飼主には、「戦犯合祀」とか「政教分離」とか難しいことはよく分からないが、結果として国の為に一身をもって殉じた人たちを慰霊する場所として、靖國神社がもっとも自然であればそれでいいのではないかと思う。かつて自衛隊の儀杖隊や音楽隊が戦没者の追悼式に参加することについて、その場所が神社であるが故に防衛庁が過剰反応し、遠慮していた時期があったと聞くが、きわめて不自然ではないか。

 むしろ儀式内容に宗教色を廃し、国に殉じた先人に進んで慰霊の誠を捧げるという方が自然であり、自衛隊の任務にもかなうのではないか、と思う。それ故に、金毘羅宮での掃海殉職者や伊予西条・楢本神社での神風特攻隊敷島隊の追悼式に毎年海上自衛隊が協力しているのであろう。


 敷島隊の隊長だった関行雄海軍大尉は、昭和十九年十月二十五日、神風特攻隊の先陣をきって米空母に体当たり攻撃を行い戦死した。艦上爆撃機乗りの名手を自負していた彼は体当たり攻撃そのものには反対であったが、熟考の上志願したという。享年二十三歳。新婚五カ月の新妻と唯一の肉親である母親が残され、不遇の戦後だったという。

 戦争にまつわるこのような悲話は数多くあり、映画「男たちの大和」でも淡々と描かれている。パンフに言うとおり、「そこには、英雄でも、犠牲者でもなく、三千三百三十三名の男たちがいた。」という偏らない姿勢は、あらゆる年代の観客に感動を与える。その男たちの自然な合言葉は「靖國神社で会おう」であったに違いない。

 要は、八月十六日付産経新聞社説のいうとおり靖國神社は、「そこへ行けば国民の誰もが自然な気持ちで国のために亡くなった先祖を思いお参りできる、政治と外交とは離れた慰霊の場」なのであろう。


 国のため従軍し命を落とした馬、犬、伝書鳩たちも、軍人と同じように慰霊の場として靖國神社が最も自然なのであろう。飼主は、是非安芸を専用ワゴン車で連れてこようと思った。おそらく函館の石川啄木像を見たときのように、軍犬慰霊像を見て盛んに吠えるだけであろうけれども・・・(第27回了)

                            三浦の羊飼い


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安芸二号便り28『戌年年頭雑感』 三浦の羊飼い


 平成十八年の正月も四国で過ごすことにした安芸一家は、例によって専用ワゴン車で犬・猫・小鳥の動物連中と一緒に三浦半島から松山まで大移動をした。ただし、今回は大寒波の予報で途中雪に出会う恐れがあったため往路は紀伊白浜で一泊し、伊良湖水道と紀伊水道をフェリーで横断する南沿いを選択した。

 この判断は結果的に正解であったが、鳥羽で下船してから紀伊半島を南下したため思いのほか時間がかかり、白浜のホテルについたのは九時を回ってしまった。関東の人は、よく紀伊半島を房総か伊豆半島の感覚で見ることがあるようだ。確かに地図上、紀伊半島は他の二つよりは大きいのに高速道路も通じていない。


 帰路は、四日のUターンラッシュ時期だったので、和歌山から阪和・名阪・伊勢自動車道を通ったところ、交通渋滞や雪にも会わず途中フェリーで計三時間も休息することが出来、しかも経費も時間も昨年よりはるかに経済的だった。

 松山での安芸の生活はワゴン車の中の狭いケージだった。夏の暑さに比べれば快適で、毎日一時間は広い河川敷で十分走り回れるのでおおむね満足のようであった。それでも、飼主から餌をくれる時間が不規則になるせいか、餌そのものに飽きてくるのか、二,三日はごねて食事を取らないことがあった。

 そんな時、いつも飼主は無視することにしているのだが、今回はカミサンが異常に気を使って世話をしていた。今年は戌年で、一月九日で満四歳を迎える安芸二号の寿命から、おそらく最初でかつ最後の年女であろうから、カミサンが大事にするのも無理もない。


 昨年は、初詣が三日となり、その日にカミサンが転倒捻挫するというアクシデントに遭い縁起が良くなかったので、今年は元旦に老母と安芸も連れて市内の神社まで行くことにした。ところが、境内はペット同伴禁止。体重四十キロもある安芸の場合、ペットというのもおこがましいが、車の中で狛犬のように黙々と留守番をしていた。

 初詣の後、その足で遅ればせながら、今治市にある戦死した父親の墓参りまでして、今年こそ良き年であることを願った。翌日は、丸一日かけて長駆しまなみ海道をドライブし、尾道の造船所跡地にある戦艦大和ロケセットを見学した。


 「男たちの大和」の撮影で使用した、大和の約三分の二に当る百九十メートルの主砲や機銃を装備した艦体の実寸大セットが、一般に公開されている。正月のせいか若い家族連れが多く、向島のインターを降りてから延々長蛇の列が続き、入場まで二時間も待たされた。

 マスコミが戌年の話題として警察犬などのいろいろな使役犬が紹介されたが、最高の傑作は「週刊新潮」新年特大号に載った「猿追い犬」の話である。全国各地で頻発するニホンザルの農作物被害が問題になっているが、人里に下りては畑を荒らすサルの集団を山に帰し、人間と平和に共生させるにはどうしたらいいのか。

 そこでサル研究の第一人者である伊沢帝京科学大教授が考えたのが、きわめて賢いサルを相手に山に追い上げるいわゆる「サル追い犬」。宮城県で実戦デビューし、その効果は大きかったという。実は、その訓練を担当したのが飼主と安芸が通う訓練所である。


 もう一つの話題は、年末に封切られた映画「男たちの大和」。これまでに早くも観客動員数が二百五十万人を超えたという。戦後六十周年記念作品として製作されたこの映画は、尾道のロケセットと同様、戦争をまったく知らない若い人達に人気らしい。飼主一家も、戦争体験のある老母と一緒に映画を見たが、皆一様に泣かされてしまった。

 北日本新聞社が主催した学生限定試写会を見た学生達の感想が同紙に掲載されたが、「今の日本があるのは、たくさんの人達が命を懸けて守ってくれたからだと分かった」「人間の命の重さを知らされ、生きる心の大切さを実感した」「私たちは昔の人々から大切な日本を託されたのだから、もっと何をするにも頑張らないといけないなと感じた」といった内容に集約されそうである。


 戦後六十一周年の今年は、新たに生まれかわるいわば還暦という節目の最初の年。大日本帝国の崩壊という結末を迎えた前の戦争体験者が少なくなり歴史が風化していく中で、昨年四月に開館した呉市海事歴史科学館「大和ミュージアム」が大人気で入館者百三十万人を超え、戦艦大和の映画が若い人の関心を呼ぶという現象は、戦後の社会構造が崩壊しかつ憲法改正論議が叫ばれつつある今のわが国の状況を象徴している。

 教科書には書かれていない、一つの重い歴史的事実の中で先人の寄せた熱い思いを移入することにより、現在の国の有り様や個々の人生観を冷静に考え直すことが出来たなら、「歴史に学ぶ」という唯一人類に与えられた特権を享受する教材として博物館や映画の意義は大きい。

 現在のところ、専門家の間ではこの映画の製作技術上の評価は分かれているようだが、単なるお涙頂戴に終わらず現代の若者に何がしかのメッセージを伝えたという面では、「乗組員の鎮魂と二十一世紀への羅針盤」を狙った製作者側の企図は成功したと見るべきだろう。

 そもそも動物行動学的に言えば犬もサルも十分学習はするだろうが、映画「猿の惑星」のサルのように歴史に学んだり反省したりすることはないだろう。飼主の見るところ、これまでの行状からは安芸に限ってもそのようには見えない。もっともサル追い犬の任務は立派にこなせると思われるが(第28回了)

                           三浦の羊飼い


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安芸二号便り29『国際救助犬への道』 三浦の羊飼い


 一月中旬の寒い日、阪神淡路大震災を記念して催される三浦半島地区合同防災訓練が実施された。飼い主の所属するNPO法人からは、救助犬四頭が参加し、横須賀港から久里浜港まで県警機動隊と一緒に巡視船で移動し、家屋倒壊現場に進出するという想定で訓練が行われた。

 最近は、被災者の救出に救助犬を活用するという訓練シナリオが一般的となったが、わが国で救助犬の存在が知られるようになったのは平成七年の阪神淡路大震災の時である。

 地震発生当日の夕方、スイス大使館から外務省経由国土庁に救助犬派遣の打診があったのに、政府は一旦兵庫県が受け入れ態勢にないということで返答し、支援受け入れが遅れた。

 結局、発生三日後にスイス災害救助隊二十五名が救助犬十二頭を連れて関西空港に到着、自衛隊ヘリコプターで直ちに神戸入りした。一説に犬の動物検疫に時間がかかり現場到着が遅れたとあるが、実際は特例措置により検疫を事実上省略することが可能となる措置がとられたようだ。

 スイスの救助隊は四日間の捜索活動でいずれも遺体ながら計九名を救出した。地震発生後七十二時間経過後生存者救出の可能性が低くなることを考えれば、この種災害での初動の出遅れはいわば致命傷である。

 海外からの救助隊の受け入れに、案内要員や隊員の宿泊場所等現地の態勢が整わなかったのもさることながら、当時の政府(村山内閣)の方針がはっきり決まらなかったことが遅れた要因として指摘されている。


 大正十二年の関東大震災時、発生当時夕刻に組閣を完了したばかりの山本権兵衛内閣は直ちに災害対策を決め、救護と治安の維持に努めるとともに海外からの救援も迅速に受け入れている。因みに、帝国海軍連合艦隊の救援部隊の品川沖着と米国極東艦隊の支援部隊の横浜沖着は同じ日であった。

 陸軍も初日から、警備・救護のため東京・千葉の所在部隊が出動した。記録によると、千葉県千葉郡都賀村にあった歩兵学校からも部隊が東京に派遣されている。当時歩兵学校には軍犬育成所があったので当然軍犬も出動したと思われるが、関東大震災で活躍した軍犬の記録は見当たらない。軍犬は負傷兵等を捜索する訓練もしていたので、初動段階の人命救助では相当の成果を上げたかも知れない。

 阪神淡路大震災以来、全国で救助犬への関心が高まり、現在関連団体数は約十、救助犬は約百五十頭程度いるといわれる。

 しかし、救助犬の認定は、それぞれの団体が任意に行い、盲導犬のように法律の根拠がなく、資格認定や養成の制度もないのが現状である。また、欧米では、国の国際救助隊に民間の救助犬も編成されるが、わが国ではまだそこまで確立されていない。

 安芸の所属する協会は、国際的にも通用するように国際救助犬連盟(IRO)の公認審査員による認定試験を年二回実施している(合格率約10%)。県警は、この試験に合格した犬を嘱託救助犬として民間の飼い主に委嘱し、必要な場合出動を要請する体制をとっているが、これすら全国でも極めて珍しいケースである。

 また、海外からの救助隊の受け入れ体制については、十一年前の阪神大震災の時と殆ど変わっていない。民間団体を活用して受け入れ体制のネットワーク化を図る等行政側の対策が望まれる。


 救助犬を活用した防災機関・組織との協同訓練についても十分とは言えない。自治体の主催する年一回程度の防災訓練で、定番のシナリオの中に見栄えの良いイベント訓練として盛り込まれているが、普段の協同連携の成果を一般市民に見て貰うという事からはほど遠い。

 その点、昨年安芸の所属する協会において、県警機動隊・消防と集中的に協同訓練を行い、初めて陸上自衛隊で災害派遣の体制や装備の現状を研修する一方、隊員に対し救助犬活動の展示を行い相互理解に大きな成果があったのは、画期的なことである。


 一般に実際に役に立つ救助犬の育成には最低二年はかかるようだ。犬の年齢的には、比較的五歳以上の高齢犬が多い。災害現場では、体力よりもむしろ経験、冷静さ、注意力が要求される。

 安芸は、救助犬の訓練を始めてから約一年。経験、冷静さ、注意力いずれもまだ不十分である。そもそも指導者たる飼い主に対する服従心が不足している。尤もドイツ人審査員の言によると、犬は優秀ですべて出来るが、飼い主の言うことは適当に聞けばいいと思っており、飼い主側に問題ありとのことである。


 最近の新聞記事によれば、このところペットを家族のように扱う飼い主が増える中、セミオーダーのドッグフードや会員制のペットホテルなど高級感を売り物にしたビジネスが過熱気味とのこと。

 また、最近発表された「サラリーマン川柳コンクール」入選作品の中に「散髪代 俺は千円 犬一万」(下流の夫)というのがあった。このところ安芸は正月以来太り気味で、最近いろんな理由で訓練不足になっている。体重が重いとジャンプ時足を痛めるので餌を減らしていたら、ある日カミサンが、もう訓練は止めて好きなだけ食べさせればいいじゃないの、と言う。

 しかし、自分はたとえ千円の散髪代でも安芸には十分訓練を受けさせようと、飼い主は思っている。そこら辺のセレブな犬と違い、わが安芸二号は警備犬の子として生まれた時から、何はともかく公に尽くすという愚直な使命感(動物行動学的にいう達成感)だけは受け継いでいるものと信じているのだから。(第29回了)

                           
三浦の羊飼い


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安芸二号便り30『安芸 拉致未遂事件』 三浦の羊飼い


 今年の冬は各地で大雪に見舞われたので、春の到来は遅いのかと思っていたら、桜の開花予測は昨年よりは早いと言う。それでも、俗に三寒四温とはいえ、三月に入ってからも寒い日が結構続いた。人は草木の開花や芽吹きにその兆しを見るとなんとなく浮き浮きしてくるものだ。

 だが、夏の暑さよりは、むしろ冬の寒さを好む犬の場合は果たしてどうか。二月下旬のある日、飼主一家は専用車に安芸を乗せ、伊豆半島まで足を伸ばした。旅行社のキャンペーンにのせられ、春の兆しを尋ねて河津の桜と曽我の梅林を訪れたのだ。


 河津桜の方は、昨年時期が悪く散り残った醜い姿に落胆したものだが、今年は五分咲きの桜が見事に川の両岸に連なり結構の人出だった。安芸は、モンロー・ウォーク宜しくやや太り気味の体をゆすりながら、人込みを分けつつ平気で歩いて行く。

 気づいてびっくりする人もいるが、図体や顔に似ず人懐っこいしぐさに、子供や女性は「かわいい」と寄って来てすっかり人気者になってしまった。ある女の子は、ジャーマン・シェパードという犬種が珍しいらしく、

 「どこに行けば買えるの?」

と聞いてくる始末。これだけの群衆の中でもまるで自分が人間のように振る舞えるのは、平素の救助犬としての訓練の成果か。これまでの訓練にあまりいい顔をしてなかったカミサンも、この時ばかりは得意になって安芸の後をくっついている。

 翌日訪れた曽我の梅林はほぼ満開であったが、肌寒く一雨来そうな天候の上、梅林もあちこちに点在していて見栄えはよくない。しかし、梅林と梅林の間には、結構空き地が多く見物客もまばらだったので、安芸にとって格好のにわか訓練場となった。安芸と飼主は、普段の訓練不足を補うべく小一時間も服従訓練の補習を行うことが出来た。

 昼下がり梅林を後にしたところで、ぽつぽつと冷たい雨が降り始めた。春の兆しを感じたかどうかは分からないが、ともかく安芸二号はこの旅を十分楽しんだようである。飼主は帰宅してすぐ、庭先に記念に買った河津桜の苗木を植えた。


 二月末だというのに四月並みの陽気が二,三日続いた後春一番が吹き、人も犬も浮かれ気分になりそうなある日、安芸とカミサンは思いがけない災難に会った。

 「アナタこんなところに居たの、早く帰りましょうね!」

との叫び声に表に出てみると、この辺では見かけぬ中年の美しい女性が、庭先にいる安芸に

「こんな狭いところに入れられて可哀相。さあ、一緒に帰りましょうね」

と語りかけていたという。カミサンを見て、その女性は

 「犬泥棒!」
と叫ぶやいきなり門扉をこじ開けて侵入しようとしてもみ合いになり、結局女性は逃走し,カミサンは全治約一ヶ月の頭部打撲傷を負う羽目となった。翌日女性は保護されたが、精神不安定ということで入院したという。

 まもなく、女性の両親が見舞いと謝罪に訪れた。事情を聞くと三年前に娘が長年可愛がっていたジャーマン・シェパードを亡くし、その犬が安芸とそっくりだったので自分の愛犬と錯覚したのではないかという話。

 女性は最近まで精神不安定で入退院を繰り返していたらしいが、このところの陽気で異常な行動に出たのであろうか、それにしてもとんだ災難であった。

 親戚や友人からはあの気丈な人がなぜ反撃しなかったのとか、不審者に対し吠えもしない安芸は普段どんな訓練をしているのとか格好の話題となり、しばらく飼主は弁明に努めざるを得なかった。身内としては、安芸の暴走を危惧して門扉の専守防衛に努めたカミサンの行動も、闖入者を決して自分の敵とは認識しなかった安芸の判断も十分理解できるからだ。


 事件直後はカミサンの怒りもなかなか収まらなかったが、相手方の事情を知るに及んでかなり同情的となったようだ。

 そんな時、二つの新聞記事が飼主の目に留まった。一つは、東北大などの研究チームが、地震で倒壊しかかった建物の上層階で生存者がいるかを捜し出せる災害ロボットを開発、報道陣に公開したという記事。もう一つは、身体障害者補助犬法制定のきっかけになった十二歳の介助犬が、車椅子生活の主人宅の大好きなソファの上で息を引き取ったというもの。


 最近は、ロボットの進化は目覚しく、人や動物まで無人・ロボット化に移行しつつあり、癒しのためのペット・ロボットまで登場している。近い将来、わずか十年程度の寿命の犬に代わってロボット犬が登場し、二十四時間連続の捜索活動や介助作業をしたり、ペットとして飼主の心を癒し続け、愛するものに先立たれるという哀しい思いをさせることもなくなるかも知れない。

 しかし、いかに技術革新があろうとも、人が感情の動物である限り、感情と感情の触れあいや行き違いの度合いは人と動物との関係に優るものはないだろう、と飼主は思う。人が人生に生きがいや失望を感じるように、動物も生きている限り程度の差こそあれロボットでは体験できないものを感じているに違いない。

 この四年、安芸との感情の行き違いを思い知らされている飼主は、むしろ愛犬の死によって気がふれるほど深い感情の交流があったであろう、その女性飼主をうらやましくさえ思った。(第30回了)


                                 三浦の羊飼い


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