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安芸二号便り31『桜、その咲き始めと散り際』 三浦の羊飼い
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今年の桜は開花から散り終わるまでの長かったこと、三週間ぐらいはあったのではないかと思う。例年団地内の桜並木は、安芸の散歩道から見渡す古都の峰峰にぽつぽつと山桜が咲いてから花を開かせ始めるのだが、今年は開花時期が逆であった上随分長く花が残った。
桜はぱっと咲いてぱっと散る方が潔いものとして、日本人的心情に合うのであろう。その代表的なソメイヨシノは,江戸から吉野までは花を見に行けないので、江戸染井村の植木商が「吉野桜」という新しい品種を作り出したのが始まりだといわれている。
それまでは、桜といえばかなり長い期間咲いている山桜である。吉野の山桜はまだ知らないが、かつて見た秋田県男鹿半島一面に広がる山桜は壮観であった。萌える草木のさ緑の中に、山桜の白が水墨画のように滲んで稜線を曖昧にし、さながら「霞か雲か」という景観。日本海に面した北国の遅い春を鮮烈に印象付けた。
肌寒く晴れ渡ったある日の早朝、安芸の散歩の途次富士山から丹沢、伊豆の山々を遠望しつつ見た古都周辺の山桜から、ふとこの歌を思い出した。
しきしまのやまと心を人とはば朝日ににほふ山桜花 本居宣長
神風特別攻撃隊の部隊名にも採用され、散り際の潔さを賛美しているというのが通説であるが、むしろ咲き始めの清楚さ・純潔を歌っているのではないか。その頃桜といえば自生の山桜であり、ソメイヨシノが登場するのは宣長の死後半世紀を経てからのことである。満月ではないが花冷えのする深夜、満開の桜並木の下を安芸と歩いていて、風もないのに一弁の花びらがぽとりと落ちるのを見た。正にそれは一陣の風に散るというよりも、ぽとりと落ちたのである。
西行法師は、奥吉野に庵を結んで吉野の桜をこよなく愛し多くの歌を詠み、
願はくば花のしたにて春死なむそのきさらぎの望月のころ
は、その代表作といわれる。
この歌は一見華やかであるが、西行の真意は人知れずこの桜のように果てたかったのではないかと、その時ふと思った。
吉野の山奥で陰暦二月十五日(現行暦の三月二十四日頃)に桜が散るというのも不自然だが、「そのきさらぎの望月の頃」は西行の切なる願望でその日は釈尊の入滅した日であり、釈尊は菩提樹の木の下で静かに息を引き取ったといわれている。西行は願望どおり二月十六日になくなっている。
古来、日本人と桜は心情的にも文化的にも深い関係がある故に政治的、外交的にも利用されてきた。
その例として、米国ワシントンのポトマック河畔の桜並木はあまりにも有名である。
今から百年ほど前、東京市長だった尾崎行雄が日米友好のシンボルにと約三千本のソメイヨシノを米国に贈った。首都ワシントンでは、前大戦の不幸を乗り越えて毎年桜の美しい時期に日米親善の桜祭りの行事を行っている。
その戦争中、日本では桜の散り際の美しさは武士道の潔さに通じる、殉国精神の象徴として戦意高揚のためしばしば使われた。「同期の桜」という歌は戦時歌謡として最もポピュラーであり、今でも若い人たちが元気良く歌っている。一方、特攻隊等で前途有為な青少年を失った遺族や、桜の咲いている時期に空襲で受難した人々には、桜は悲しい、忌まわしい記憶と重なるようだ。
豪州の首都キャンベラから西方二百キロのところにカウラという小さな町がある。かつて日本軍の捕虜収容所があった。大戦中、ここに収容されていた日本人捕虜たちが暴動を起こし、豪州兵を含め二百名以上の人たちが犠牲になるという、いわゆるカウラ事件があった。
カウラの町の人たちはこの不幸な出来事を乗り越えて日豪友好親善の為にと、収容所跡地の丘に西暦二千年までに二千本の桜を植えようという運動を始めた。飼主は十年前の現役時代、豪州訪問の際にこのカウラを訪ねこれに賛同して一本の桜の苗木を植えた。機を見て再訪を願っているが、今年十月頃には荒涼としたカウラの丘に二千本の桜が咲き誇ることだろう。
今年の呉の観桜会はタイミング良く、七、八分咲きといったところであったが、安芸の生まれ故郷吉浦ではすでに散り始めていた。安芸の父親ゴンが、正門付近の配備点で桜の花びらを浴びながら、伏せの姿勢で警備についていた。七年にもなる無人島での単身赴任から、昨年やっと戻ってきたという。
もう九歳になるはずだが、元気そうで毛の色具合は安芸二号そっくりである。六歳になる母親のメッシュは、新装成った犬舎で飼主を見て盛んに吠えた。こちらは顔の表情は安芸と瓜二つ。ゴンとは四年ぶりの対面になるが、ゴンもメッシュもまず飼主を覚えていないだろう。
四歳半になる安芸一号は、名付け親の飼主を覚えているのか体を摺り寄せてきた。体格が小柄の上、性格が小心で警備犬には向かないという。それでも一昨年、八頭の元気な子犬を産んで母親としての任務を立派に果たした。安芸二号の兄弟の松之助は、少し前対岸の警備所に転勤になったそうだ。
昨年の霧が峰での日本訓練チャンピオンには吉浦から四頭参加し、チャンピオンリザーブ二頭、協会賞一頭を出し、松之助は敢闘賞を貰ったという。瀬戸の海に面した吉浦の春は平和そのものであり、犬たちは浮世の桜が咲くとか散るとかには全く無関係で穏やかに暮らしていた。(第31回了)
三浦の羊飼い
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関東地方の桜はとっくに散り終え寒暖不順の天候が続く時期、専用ワゴン車に安芸を載せて中央高速を走った。長野県富士見高原リゾートからの八ヶ岳連峰は、まだ白い雪をいただきひときわ雄大な姿を見せていた。昨年に引き続き、この高原で第四回国際救助犬試験が行われた。
試験は公開練習を含めて三日間の日程で行われ、朝六時から夕方五時過ぎまでといういつもながらのハードスケジュールであった。一日目の公開練習後、抽選会が行われ出場順が決定される。前回は最も配点の多い「捜索」が最初であったが、今回は「服従」「熟練」「捜索」と理想的な順番となった。
二日目の朝早くから課目「服従」が始まった。抽選の結果、最初の種目は安芸の苦手とする「物品持来」となり、不吉な予感がした。指導手の身に着けている物を前方に投げて「持って来い」の指示で、犬にくわえて持って来させ、正面で指導手が受け取るものである。安芸はいったんくわえた物をなかなか離さない癖があったが試験では意外とスムーズに行った。
次の「脚側行進」でも飼主に比較的リズムよく付いてきた。「ほふく前進」では前半うまく出来たが、後半は上体が起きてしまい減点の対象になった。続いての種目、「行進中の停座」「行進中の伏せ及び招呼」「行進中の立止及び招呼」も比較的順調に終わり、最後の「前進及び伏せ」も「伏せ」の指示が遅れたものの、十分な前進距離もあり無難に終了。審査結果は直ぐ公表されたが、意外にも三十一点でこの課目不合格となった。
試験中、犬に対する指示として「フセ」「スワレ」等のきめられた声符以外、指導手のジェスチャー等の行為が、今回の規定改正で体符とみなされ減点の対象になったのだ。全般的に致命的なミスも無く前回に比べうまくいったと思っていただけに、この結果は飼主にとりかなりショックであった。
約四時間後、課目「熟練」の試験に気を取り直して臨んだものの、飼主の動揺が犬にも伝染したのか申告時から落ち着きが無く、不安定な精神状態であった。「バレル・ブリッジ渡り」、「シーソー」、「水平梯子歩行」や「幅跳び」、「トンネル潜り」、「瓦礫歩行」等練習の時は何でもない作業がスムーズに出来ない。
あせる飼主の所作が微妙に犬を不安にさせるのか、遂に前回失敗した「遠隔操作による方向変換」で相互不信は頂点に達し、犬の制御不能となり審査中止。心身ともに疲労困憊した飼主は、最後の「移送」でも抱きかかえた肥満気味の安芸を落下させる始末。結果は二十三点と惨敗で、当然この課目も不合格。飼主はこの日の夜の反省会では訓練所仲間に慰めながらついつい深酒をしてしまった。
次の日、最後の課目「捜索」が町営の廃棄物集積所に仮設された瓦礫捜索会場で行われた。ガス爆発現場という想定でA段階では十五分間で二名の被災者を発見しなければ合格出来ない。前回の教訓もあり、捜索自体はほとんど安芸の自主性にまかせることとし、まず風下方向から犬を出した。
安芸は最初から捜索意欲旺盛で嬉々として走り回り、瓦礫や建材、古タイヤの山を登ったり潜ったりして良い動きをしている。指導手の行動範囲には制限があり、現場近くには近寄れない。ここで「熟練」課目の遠隔操作の技量がものをいうわけだ。
飼主は、犬の集中力や疲労の状況を見て時たま指示を出したが、安芸は前日とは見違えるように従順に従う。約八分過ぎに反応があり、安芸は得意そうに吠えて告知をした。飼主は審査員の指示で現場に入って、折り重なった建材や古タイヤの下から被災者を発見。しかし、その後二人目はなかなか発見出来なかった。残り時間五分を切り、安芸の動きにも疲れが見られたので手元に呼び寄せ、水筒の水を飲ませる。
この給水で集中力を回復したのか、飼主が大体見当をつけていた方向に「前へ」と指示すると、安芸は元気良く前進し倉庫の前で匂いを取り、閉まったシャッターの内側に閉じ込められていた被災者を見事発見。残り時間は三十秒を切っていた。
試験課目「服従」「熟練」の配点はそれぞれ五十点、「捜索」は二百点、各課目の七十%以上を取らなければ合格出来ない。「捜索」は規定の二人を発見し、百四十点でかろうじて合格した。
結局、瓦礫捜索A段階参加十三頭中「捜索」で合格したのは安芸を含め三頭、すべての課目で合格したのは僅か二頭である。他の二種目を落としているので合格犬には認定されなかったが、総合得点で三位になり閉会式で表彰され、仲間から祝福された。
海外旅行中のカミサンに報告すると、電話の向こうからは、「良かった。でも救助犬の訓練はこれっきりにしましょう」との冷たい声。生後二ヶ月の安芸を遠く広島から車で連れ戻った彼女にしてみれば、瓦礫の上を歩いたり梯子を渡ったりする「安芸ちゃんがかわいそう」ということらしい。
しかし、仲間たちは、安芸は楽しんで捜索作業をしており救助犬としてはこれから益々伸びていくので今止めるのは勿体ない、と言う。また、ベテランの訓練所長は、服従や熟練作業では飼主が困っているのを面白がっている、と言う。
確かに、捜索作業では喜んで自発的に動き飼主の指示にも従順であるが、服従・熟練作業で示す反抗心との奇妙なアンバランスには理解に苦しむ。究極の統率である「心服」にはまだまだ前途多難、飼主の新たな悩みが始まった。(第32回了)
三浦の羊飼い
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安芸は春の救助犬試験も終わりほっとして気が緩んだのか、散歩中たいした高さでもない石垣から飛び降りた際に、右足を捻挫してしまった。肥満気味の体重がもろに掛かった上に着地が舗装道路の上だったこともある。これを契機として徹底した減量を始めたところに、カミサンが海外旅行から帰ってきた。
それからすぐ大型連休に入り、飼主一家は例によってステーションワゴンに乗ってみちのくの旅に出た。五月に入ってからも全国的に快晴の日は少なく、特に岩手・秋田の県境にある湯田高原は残雪があちこちに見え、まだ肌寒い日が続いていた。
湯田高原でゴルフをした後、五所川原、弘前、下北半島と北上したが、弘前では運良く丁度満開の桜に出会うことが出来た。かつて勤務したことのあるむつ市では、趣味が高じて半分漁師みたいな生活をしているAさんや、すし屋のH大将、毎年律儀に行者にんにくを送ってくれる自称売れない小説家のS君に会ったが、皆均等に十五年分年をとり、それぞれ持病を持ちながらも自分の生活ペースで恙無く暮らしているようだった。
今回の旅は、安芸一家にとって日本一と言われる弘前の桜をはじめ極めて印象的なものになったが、一大痛恨事は湯田高原で小桜インコのクッキーを死なせてしまったことだ。
その日の朝は冷え込みが厳しかったので、車の窓ガラスを閉めたままプレーに出たのが不覚だった。ハーフで上がって来た時には、かわいそうにもクッキーは籠の中で死んでいた。同じ所に居た安芸も脱水状態でぐったりしていたぐらいなので、高原の気温の変化は相当なものであろう。
十一年間もクッキーの面倒を見てきたカミサンのショックは大変なものだった。一緒に連れて帰ると亡骸をクーラーボックスに入れ、仙台泊を取りやめてまで家まで運んだ。その後自宅の駐車場脇の土の部分に埋葬し、墓標代わりに備前焼のふくろう像を置いた。そして毎日車庫から出し入れする際、車の中で弔うと言う。
安芸にとってこの旅行は散々であり、試験終了後の気分転換どころか、ストレスの溜まるものとなった。出発前の捻挫が響きずっと車の中で大人しくいていなければならない上、減量を強要する飼主のため餌も十分もらえない。名物弘前の桜見物も、河津の時のように人込みの中を歩き回れなかったどころか、湯田高原では危うく死ぬところだった。しかも、飼主夫婦の関心は専らクッキーの方にあり、自分は殆ど相手にしてくれないのだ。
例年、五月の最終土曜日に金毘羅宮で行われる掃海殉職者追悼式は、前夜坂出港で行われた艦上レセプションを含め盛大に実施された。飼主は、呉で佐世保からの友人と合流して彼の車で坂出に向かったが、途中玉野の友人Oさん宅に寄り、愛犬たちと再会した。
三頭のグレイトマウンテンピレネーズの中でまもなく十歳になるというもん吉のみ健在であるが、この数年の間にテリーと八郎の二頭を亡くし、今年からその代わりにター君が来ている。生後数ヶ月というがター君の図体は安芸よりも大きい。しかし、人馴れしてないらしく見知らぬ闖入者に怯えている様で、そのしぐさが実に可愛い。
Oさんの近くには備前焼の窯元が何軒もあり、この日も案内してくれてたくさんのお土産を貰った。彼はテリーが亡くなった後、備前焼でその像を作り飼主に贈った。安芸二号像も五体作ってくれ、そのうちの二体は生まれ故郷の吉浦と飼主の実家松山にあるが、製作したのはその窯元だという。クッキーの墓標代わりのふくろう像も彼から貰った物で、その話をすると心から同情してくれた。
六月に入って直ぐ関東地方は梅雨入り宣言があったが、五月も日照時間が極めて少ない不順な天候が続いていたので特段意識しなかったぐらいである。安芸の右足も回復し、訓練を再開した。まだ、カミサンは反対しているが、当面の目標は秋の救助犬試験である。土曜日の午後、一ヶ月ぶりに服従訓練を行ったが、安芸は極めて反応が良く、動きも軽快である。S訓練士によると、減量してから一段と動きが良くなったという。
そんな中、安芸一家に小さなニューフェースが加わった。生後一週間のルリコシボタンインコである。クッキーの一月忌を過ぎてから、カミサンがあちこちのデパートで探していた後継のインコがやっと見つかったのだ。最終的には訓練所長の友人を紹介してもらい、自分の気に入ったルリコシボタンインコを買って来た。
同じ小桜インコではクッキーの印象が強すぎるので、目のふちが白くて愛嬌のあるルリコシボタンインコに決めたと言う。しかし、どうひいき目に見ても体型は小振りで痩せぎすであり、なんとなく貧相で頼りが無い。まだ自分で餌を食べられない状態なので、二時間おきに雛用の餌を指で強制的に口に入れ込んで食事をさせる始末。それでも三日目になると見る見る元気になり、自分で飛ぼうとする仕草さえ見せるまでになった。
それまで自己の不注意を責めていたカミサンも次第に元気を取り戻して来た。飼主夫婦は、この新来の家族に又も安直に「ちびルリコ」と命名した。因みに、ちびルリコの性別は不詳だが、色合いが綺麗なのでオスではないかという。しかし、このニューフェースの性別の議論よりも、飼主にとってカミサンの関心が専ら安芸からちびルリコに移ることのほうが、大きな問題である。(第33回了)
三浦の羊飼い
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インコのちびルリコが来てから一ヶ月が過ぎた。安芸一家の生活ペースも落ち着き、カミサンはルリコに対する二時間から五時間おきの差し餌から開放され、持病の股関節治療のため一日おきにプールに通い始めた。猫のミーコは、この十年小鳥は自分より先任とする習性が身についているのか、新来のルリコに対しても三歩下がって先輩の小鳥を襲わず、という恭順の態度を維持している。
小鳥の一ヶ月が人のどれほどの期間に相当するのか知らないが、ルリコの成長振りは目覚しく、餌は自分で食べるばかりか、籠や部屋の中を盛んに飛び回るようになった。最近は、籠の中に吊した鏡に向かってわけの分からないことをさえずっている。親鳥はいなかったが、もう立派な「巣立ち」と言えよう。しかし、カミサンはクッキーのこともあり、籠の中に暖房器を入れたり、窓を開けたりと温度管理だけには至って神経質である。
安芸と飼主はカミサンの愚痴にもめげず、毎週地道に訓練に通っている。安芸は四回目の苦手な夏を迎えたが、気のせいかこのところ妙に分別くさくなった。訓練の無い日中は日陰を求めて家の周りを徘徊しうたた寝をしているが、それでも人や犬が近づくと自己の存在をアピールして盛んに吠える。その吠え方にも微妙な差があり、顔見知りの郵便屋さんや運送屋さんにはまず吠えない。知らない犬には「前を通るのに挨拶が無い」と偉大な将軍様顔負けの恫喝する吠え方である。
この前の試験で被災者を発見した時の自信のなさそうな咆哮告知とは程遠い。飼主には、鳴き声もさることながら目で何かを訴えてくる。餌や水が欲しい時は必ず飼主の目を見るのは以前からであるが、散歩中暑さでばてた様な場合勝手に座り込んでからじっと飼主の目を上目遣いで見る。その仕草は実に人間的なのだが、飼主は冷たく首を横に振る。そうすると、安芸はやっぱり駄目かというような顔をして起き上がりとぼとぼと歩き出す。
飼主の現役中、人の統率上いわゆるアイコンタクトの重要性についてよくいわれたが、言葉が話せないだけ犬の場合はもっと真剣である。安芸は、瞬きもしないで真っ直ぐこちらを見て来る。そして返答を予期しているのか、飼主のちょっとした仕草でも直ぐ反応する。
そういえば、救助犬試験で二回とも失敗した遠隔操縦も飼主と安芸のアイコンタクトが良くなかった。練習の時は、安芸が次の命令を予期して必ず飼主を見るので、そのタイミングで指示を出すとうまく出来る。ところが、本番になると余裕がなくなるのか犬が見てこないうちに指示を出してしまうので失敗するのだ。これは、分かっていてもなかなか出来ない、ゴルフの「早打ち」対策と同じである。
ゴルフと言えば、まだ梅雨も明けないこの年最高に暑かった日、飼主はクラス会のゴルフコンペに参加した。年一回の懇親会の前日ということもあり、九州から馳せ参じた者や当時の教官の方々の参加もあり、いつになく盛況であった。しかし、この日の猛暑は三十八度を記録し、山間のゴルフ場でも最後の三ホールは炎熱地獄の様を呈し、参加者一同とにかく早く終わりたいと言う心境であった。
ところが、当日偶々シルバー割引デーだったせいか、現役時代鍛えられた負けじ魂(痩せ我慢)の故か、誰もやめようと言う者がいない。結局落伍者もなくコンペは無事終了したが、スコアのほうは皆今ひとつというところ。別のグループのコンペの方は、後半やめる者が続出したというから、還暦を過ぎた二十数名の老人たちの集団は異様に写ったに違いない。
因みに、この夜のニュースは熱射病で三名の人が亡くなったと伝えていた。翌日も余韻を引くほどの暑さだったが、懇親会では専ら前日のゴルフが格好の話題となった。参加しなかった者は自分の年も弁えないクレイジーな連中だと揶揄し、参加した者は四十年前の猛訓練の成果だと反論した。
同伴出席した夫人たちは、いつものことながら、普段は半ば呆けているがクラス会になると急に稚気満々となり、同じ話題を何度も繰り返して飽きない亭主たちを諦め顔で見ていた。僅か一年間苦楽を共にした、いわゆる同じ釜の飯を食ったというだけで四十年間固い絆で結ばれている集団なぞ、それより短い期間伴侶たるにすぎないご夫人方には、到底理解できないことだろう。
団塊の世代少し前の飼主とその仲間たちも第二、第三の人生に入り、新たな趣味や生きがいを見つけ、それぞれ有意義な日々を過ごしている。それでも人の世界は、自分の人生は自分で設計し実行する自由がある。しかし、犬の場合はどうか。飼主とその家族らの意思でその生き方や生きがいは殆ど決まってしまうのだ。週三回、訓練士の迎えの車が来ると安芸は庭の奥にある自分の小屋に入ってしまう。
それを見てカミサンは、もう嫌いな訓練させるのはかわいそう、と言う。しかし、カミサン不在の日、飼主が密かに観察していたら、安芸は訓練士の姿を見て嬉々として迎えの車に乗ったのだ。訓練士の話では、安芸はいつも楽しそうに訓練をしていると言う。カミサンに気を使いわざと訓練を嫌がる素振りを見せることは、分別くさくなった最近の安芸から容易に想像できる。
大型犬の平均寿命を十年としても、四歳半の安芸の一生は残り半分。飼主には、あちこち怪我をしながらも、庭木をやたら齧り倒して一心不乱に走り回っていた、二歳頃の稚気あふれる安芸の姿が懐かしく思い出される。(第34回了)
三浦の羊飼い
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例年より遅い梅雨明けは、全国で長雨による被害をもたらした。中でも早朝発生した長野県岡谷市の土石流災害は死者、行方不明者七名を出す悲惨なものとなった。長野県知事は発生から一時間という異例の速さで自衛隊の出動を要請し、松本市に駐屯する普通科連隊から約百名の隊員が出動した。
飼主の所属するNPO協会の訓練所からも救助犬が出動することになり、当日の午後には隊員三名、救助犬三頭が藤沢市の訓練所を出発、夕方から現場近くで待機した。隊員は、地元の救助犬団体や警察と連絡をとり、翌日の午後、まだ二次災害の危険性のある現場を視察した。
この時点で、最後の行方不明者一名がどうしても発見されないという状況。警察からの要請により、三日目の午後救助犬を使ってこの行方不明者の捜索を行うこととされたが、この日は激しい雨となり、捜索は中止された。四日目の午後、犬三頭ずつの二チームを編成し、約三時間捜索したが特に成果はなかった。五日目新潟・奈良・長野で二チーム、神奈川で一チームの計三チームで約二時間捜索をした。その結果、新潟チームの犬が反応した場所で人骨の一部が発見された。(後日DNA鑑定の結果行方不明者の遺体の一部と判明)
出動チームの帰投後、協会のスタッフで研究会が行われた。今回の最大の成果は、他の救助犬チームとの協同捜索、警察・消防・自衛隊等防災機関との連携等、小規模ながら一連の作業を体験し、貴重な教訓を得たこと。また土石流災害では生存者の発見救助は不可能に近く、時間が経過するに従い遺体捜索は困難となり、救助犬に寄せる期待が大きくなることを確認できた。
出動隊員の中からは、生存者のみならず遺体捜索についても訓練をしておくべきではないかと言う意見も出され、今後の検討課題とされた。一方、一般に災害救助犬のことが知られていない現状から、啓蒙を図る意味からも敢えて出動したが、我々としては先ず生存者を救出することを目的とした犬の育成を目指すべきであり、今回のような事態には、出動しないことも一つの見識という意見も出された。
一般に、大規模地震等の場合、発生後七十二時間を過ぎると生存者の救出 は困難とされている。阪神淡路大震災では、スイスから派遣された救助犬十二頭の現場到着が発生三日後となったため、四日間で九名の遺体を発見したのみで生存者救出には至らなかった。
救助犬は生体のみに反応するよう訓練されているので、同じ犬を遺体臭にも反応するよう訓練した場合、生存者を優先発見するのは困難と思われる。遺体捜索の必要がある場合は、その種訓練を受けた警察犬の投入が有効であろう、と飼主は考える。
使役犬として代表的な軍犬の場合、旧日本陸軍の資料によると、伝令・ 警戒・捜索・運搬・襲撃・格闘の幅広い任務を遂行するよう訓練されたが、「捜索」の内容は斥候の補助及び戦傷者の捜索と看護であり、遺体捜索は含まれていない。
前記の旧陸軍の資料でも、軍犬にはなるべく同じ任務を与えて限定的に使用するのが好ましいとされている。この観点からいうと、救助犬はあくまで生存者の発見救出という任務に限定して使用すべきであろう。犬の立場からも、救出された被災者から喜んでもらえた方が、任務の達成感も大きいに違いない。
訓練においては、発見後想定被災者にボールで遊んでもらえるから、それを楽しみに一生懸命捜索に励む。犬の場合の達成感の尺度は極めて単純明快であり、崇高な使命感でもなく、まして報奨金や勲章でもない。究極には、ハンドラーに褒めてもらいたい一心で任務を遂行するのであり、またそれが犬にとって楽しく喜びとなる。したがって、人と犬との確固たる信頼関係の構築が前提条件となる。
今年の夏は、北軽井沢にある親戚の別荘が空いているというので、飼主は一族郎党を連れて出かけて行った。目の前を川が流れる森の中の静かな所で、人・犬共に絶好の避暑となった。昨年は避暑のつもりが酷暑がまん会となった安芸は、十分に英気を養うことが出来たに違いない。もちろん新着二ヶ月を迎えるルリコ(小鳥)もミーコ(猫)にも申し分なかった。
しかし、最も満足したのは、カミサンかもしれない。持病の股関節痛にもかかわらず、痛み止めを飲みながら三日連続で早朝ラウンドに通った。そのせいか、帰宅直後のコンペで好成績を挙げ至極ご満悦。
安芸も訓練開始が待ち遠しい様子で、再開初日、飼主の運転する専用車が訓練所に近づくと異常に興奮して来た。S訓練士の指導下、飼主がハンドラーとして「服従」訓練のおさらいを行ったが、安芸の動きは軽快で各種目とも順調にこなした。ところが、「行進中の立止」が何度やっても出来ない。直ぐ座ってしまうのだ。訓練士に代わるとちゃんと出来る。この矯正に訓練時間の殆どを費やし、遂に「捜索」訓練は出来なかった。
訓練士はひどく落胆したが、飼主は後で冷静に考えその理由に見当がついた。散歩とか食事の日常生活の中で、停座や伏座はかなり厳しくしつけていたが、立止の「待テ」については通常立った状態なので徹底してなかった。
まだまだ救助犬としての訓練レベルには遠く、飼主との意思疎通段階にあることを思い知らされてしまった。
安芸が任務達成の本当の喜びを味わうのはいつの日のことか・・・・・(第35回了)
三浦の羊飼い
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