近況レポート
   

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横浜馬車道 岡本 (H18.11.20)


JR関内駅、横浜市営地下鉄関内駅からすぐそば、伊勢佐木町への入り口、吉田橋から、明治末期から大正初期にかけて、横浜の物流の拠点として活躍した歴史的建造物、有名な「横浜赤レンガ倉庫」(人気の外観はそのまま、2002年にホール、レストランに生まれ変わりオープン)へと通じる道路、これが、「馬車道」。

赤レンガの敷石、料理の鉄人「周 富輝」の中国広東名菜「生香園」の本店、支店や3階建てで、屋上はドーム形式、明治を代表するネオ・バロック様式国重文化財・史跡に指定された旧横浜正金銀行(本店、明治37年建設)がある。

現在は、神奈川県歴史資料館となり、昔ながらの喫茶室や堅牢な地下金庫もあり、外国貿易関係勤務者を専門に担当する銀行として成長、開港横浜で、外国商人主導の貿易金融取引に対する改善等に取り組み、新しい金融経済に立ち向かった日本人の熱気と活気が伺えます。

馬車道を歩くと、港の香りがするようでもり、文明開化で外国人を乗せた馬車が行き交い、夜は、ガス灯が輝いた「みなと横浜」の匂いが感じられます。「横浜赤レンガ倉庫」が見えるあたりまで歩くと、一気に、みなとみらい21地区、新港埠頭が望めます。

近頃は、横浜駅界隈に活気があるようで、買い物客や若者たちでにぎわっていますが、横浜の異国情緒は、やっぱり伊勢佐木町から港へと通じる「馬車道」や、近くの「中華街」には及ばないような気がします。

「馬車道」への入り口「関内」は、かつて、文明開化のシンボルとして、「鉄の橋」(英国人土木技師、ブラントンの設計)が架かっていたので有名。この場所には、吉田橋「関門跡」があり、安政6年、横浜開港と同時に交通の中心となり、武士、町人の出入りが取り締まられた所、ここを起点として、関外(伊勢佐木町側)、関内(馬車道側)と呼称されていました。関門は、明治4年に廃止されました。それにしても、「かに玉入りつゆ麺(890円)」は、絶品でした。


小型船舶操縦士(4級)の更新手続きで、万国橋会議センターへ行くため、久しぶりに馬車道を歩いてみました。どうして、港情緒が、まだ感じられます。

(注)小型船舶操縦士の法改正(平成15年)抜粋
  @ 小型船舶操縦士(4級)は、小型船舶操縦士(2級・特殊)となる。
  A 酒酔い等操縦の禁止(新設)

                               岡本

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