近況レポート
 

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駅からハイキング(鴎外と歩く 文の京の散歩道) (H25.2.12)


森鴎外生誕150周年キャンペーン



水道橋駅

鴎外生誕150周年を祝して、梅が見ごろの文学のまちを歩きませんか?

キャッチフレーズが良い。

鴎外が半生の約30年間暮らした千駄木の地。

その旧居「観潮楼」は、当時、品川沖の白帆が見えたとのこと。



小石川後楽園



小石川後楽園



茶屋(江戸期の酒亭)


根津神社を過ぎて、団子坂上の交差点を左に入ると旧居の跡地に森鴎外記念館があった。地下1階、2階建の白い、半円形の建物。

主に地下の展示室を見学。


九八屋(酒は昼九部、夜八部)



小石川後楽園の紅梅



小石川後楽園のミツクニ

島根県津和野に生まれ、10歳の時、父と上京。

19歳で東京大学医学部を卒業。

その後、陸軍へ入り、ドイツへ留学帰国後、軍医としての仕事のかたわら、「舞姫」「雁」「山椒太夫」「高瀬舟」などの作品を書き、明治を代表する知識人として活躍。



ロウバイが匂う



円月橋(橋が水面に映ると満月)


屏風岩



しだれ桜(もうすぐ)


子供達への手紙、写真などを見ている中に、自己分析の記述文献。

陸軍を陸軍軍医総監で退職時に記したのか?

「舞台を降りたとき、舞台の後ろから見ていたのが、本当の自分だったのだ」と自己分析している。


常に感情分析をしている鴎外に感服。


小石川後楽園の冬ボタン



小石川後楽園の入り口



小石川後楽園の白い塀



スカイツリー(湯島天満宮への途中)



湯島天満宮の紅白梅


受付で購入した名著「阿部一族・舞姫」を読み始めて、鴎外の自己分析力にびっくりする。

自己に媚びることなく精神、頭脳を見極めて、心境を述べる下りは、天下一品。

吸い込まれるように読むことができる。


講談高座発祥の地(湯島天満宮境内)



女坂(湯島天満宮)



旧岩崎邸



旧岩崎邸(南側)



旧岩崎邸の冬ボタン

水道橋駅から、水戸光圀公の小石川後楽園、湯島天満宮、ジョサイア・コンドル(英国ロンドン生まれ、日本で永眠)の設計による旧岩崎邸(重要文化財)を見て、不忍通り、上野の不忍池沿いを根津神社へと歩いて来た。



旧岩崎邸(芝庭側から)



そして、江戸下町の雰囲気を感じながらの千駄木着は、高級住宅地に行き着いた様だった。

クリスマスローズ



金太郎飴屋(根津神社への参道)



根津神社



根津神社



根津神社本殿



国宝の掲示


鴎外の「観潮楼」は、当時、さぞかし見事な景勝の地だったと想像できる。



お茶屋(根津神社近く)



森鴎外記念館



鴎外記念館の説明版



千駄木の住宅街へ


くらしの町(千駄木)



煉瓦つくりの六義園外塀



六義園


最後の目玉、六義園に踏み入った。

柳沢吉保の権勢と豪華な和歌の趣旨を基調とする回遊式築山泉水の大名庭園は素晴らしい。

売店(茶屋)でお汁粉、おにぎりを食べる。


柳沢吉保



六義園の内庭大門



有名なしだれ桜(開花見られず)



しだれ桜(エドヒガン)

庭園の眺めは格別。

明治時代に入り、三菱の創業者岩崎彌太郎の別邸になり、その後、岩崎家より東京市(都)へ寄付(昭和13年)され、国の特別名勝に指定された貴重な文化財。

ここは、春夏秋冬、何時、訪ねても楽しめそうだ。


特に、春の「しだれ桜」の開花を誰もが待っていることだろう。



園内の売店(茶屋)



見事な庭園風景



六義園の一艇



藤代峠からの展望



2枚の大岩で造った橋「渡月橋」



見事な松(高価と想像)


最終ポイント巣鴨駅に着くと、風来坊(Tさん)さんが巣鴨の名所を案内すると言う。

それは、巣鴨にある江戸六地蔵(江戸期、各街道の入口六箇所にあった)の一つだった。

そこは、中山道の入口、交通の要で賑わった所。


松の囲いも柳沢の家紋



江戸六地蔵の一つ(巣鴨:中山道入り口)



本殿(六地蔵は左手)



六地蔵への寺門

さらに、巣鴨地蔵通り商店街を行くと、「とげぬき地蔵」で有名な高岩寺。

そして、「洗い観音」があった。

自分の悪いところを洗うと治るとの信仰。



六地蔵通商店街


針を飲み込んだ女中さんも、地蔵尊の御影一枚を水で飲んだら針を吐き出したと言われる、「とげぬき地蔵」へ参拝は後を絶たない。

ここは、今でも、江戸期の様で、中山道入り口の賑わい。

鴎外の高度な分析力も忘れさせ、力強い庶民の生活力全般を感じさせてくれる所だった。


高岩寺山門から地蔵は見えない



洗い観音



江戸図の中に高岩寺と洗い観音

なんと散歩時間は約5時間、17,000歩。

水道橋駅から巣鴨駅、鴎外もこんなに歩いたのだろうか?


        岡本


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