近況レポート
 

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八丁堀界隈 (H25.5.29)


スカイツリーが見える



亀島橋

銀座から徒歩約30分、新装なった歌舞伎座、そして、四つ角の向こうに築地市場を見ながら、八丁堀へ。

ここは、江戸期、寛永(1624〜1644)時代に、隅田川へ通じる船便のため掘削された。

その掘割の長さが、八丁(1丁:約100m)あったため、八丁堀と呼称された。


元禄年間、組屋敷が支給され、町奉行所の与力、同心達が住み、町人から八丁堀の旦那と畏敬されていた。

実際は、薄給のため屋敷の半分を町人(医者、儒者など)に貸していたらしい。


JR八丁堀駅



鉄砲洲稲荷神社



ビルの玄関先のサツキ

亀島橋を渡ると新川、その時、亀島川を小型遊覧船が通過する。

亀島川の延長線上にスカイツリーが見える。

江戸の変化は、あまりにも顕著。

ただし、掘割からの潮風は、まだ江戸の香りそのものかも知れない。


渡船場跡や、昔ながらの「つくだ煮屋」の前を通り、中央大橋、櫻の名所、今は、葉桜、新緑でなかなかのもの、遊覧船が行き交い、運河沿いから眺める東京の水路からの下町散策も人気が出ている。

鉄砲洲稲荷界隈には、美味しそうな天婦羅屋、定食屋などがある。


佃島渡船場跡



中央大橋の向こうにスカイツリー



水路めぐりの遊覧船

徳川家入府のころ、大筒の試射場があった。鉄砲洲から芝浦までを江戸湊と呼び、米、塩、酒、薪、炭等の消費物資が集まった。

鉄砲洲稲荷湊神社は、船乗り達の安全祈願で全国にその名が広まった。

今も賑う築地の内海に位置しているものの、その賑わいは想像できるだけで、神社前は意外とひっそりとしている。



佃煮屋


佃大橋を渡り入船町、新大橋通り、喧騒とビル街、そして、車が行き交う商業都市地区、地下鉄の入口からどっと人が出てくる。

道路脇やビルの玄関先にはサツキが咲き競っている。


大型遊覧船



徳船稲荷神社縁起



立ち飲み屋(絆)

梅雨が終わると夏祭りがある。

少しは江戸が偲ばれるだろうか?

八丁の堀は今探せない。

佃島渡船場跡、つくだ煮屋(営業中)は、今、なお、江戸の歴史を伝え、正に、別の光沢で、輝いている様に見える。


         岡本


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