近況レポート
 

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74歳で身体障害者1級 (H29.6.1)


元旦の呉総監部



元旦の串山公園からEバースかな?Fバースかな?


<元旦>

今年の元旦は快晴で、呉総監部や
艦船の写真撮影では大変撮りやすいものでした。ただ風が無くて旗の揺れが無かった。写真は上手く撮れたのですが・・・・・。

体調がよろしくなく、脈拍が多くなり、体重が2Kg増え、1月6日に呉国立病院に受診したら即入院になりました。
胸のまわりに水がたまったらしい。水は抜いてくれたのですが、心臓の再検査が必要で、あちらこちら調査しました。

入院は1月6日〜18日まで・・・。家のなかは孫たちが来てにぎやかだったのですが・・・・。



元旦のS桟橋・Fバース



元旦のF桟橋


<二回目の心臓手術>

国立病院での診断結果は、心臓の調子が悪くて「憎帽弁閉鎖不全症・三尖弁閉鎖不全症・心房細動」で手術が必要とのこと。心臓は14年前、右心房と左心房の壁に孔が
あいており手術しております。今回の心臓手術は2回目の事でどうかと思ったのですが。糖尿病も抱えている私ですが、悪いものは治療が必要であり、手術することにしました。心臓のなかの弁は4箇所で、私の弁は僧帽弁が悪く、次に三尖弁も悪いとのことで、僧帽弁は人工心臓弁と交換。三尖弁は手入れ補修して、肺とのつながりの弁(二個所)は、今回はさわらないことでした。

3月13日に入院し、15日に手術しました。手術の前にはいろんなことの同意書が必要であり女房と数々の同意書や意見書にサインしました。何にサインしたかは覚えていませんが、コピーはとってあります。

14年前は事前にとっていた自己血800ccを使ったのですが、今回は自己血ではなく輸血でした。

前回の手術後の食事は2日後から普通食がとれたのですが、今回はなかなか食事がとりづらかった。医者は何でもよいので何でも食べて下さい。ジュースでもいいので、身体のためになります。とのことでした。



元旦のSバース



元旦のS桟橋


<不思議なこと?>

私の頭がボケていたのか? 手術の後でアタマが狂っていたのか? よくわからないのですが?? (今から考えるとたいしたことでもなかったのですが・・・・)

16〜17日の集中治療室でのことです。この部屋は入口のドアを閉めると完全に隔離されます。私は右・左とも腕は固縛されています。両方の手には一杯チューブやクダがぶら下がっていました。ベッドの下側は、左にはお守りか神様が祀ってあります?? 私にはわからないのですが。医師や看護婦さんも拝んでゆきます。涙を流す看護婦さんもいます。右側のベッドの下側は、計器等々がありそうです??

16日夜、男女の看護師達が、黒の帽子と白衣でなく黒灰の衣装?でした。しばらくすると、私の係りの人が「なにかヤブヨウで、しばらくここにいなくなります」と言って左右の腕もきつく固縛して出てゆきました。入口のドアも閉めて・・・かかりの人もなにか用事(私用?)が有れば他の人に変わればいいのに?と思った。けど言わなかった。部屋の内側に一人でいることは、手も足も動かせない、私は苦痛だった。時間も?誰からも連絡がなく、死ぬときはこんなのかなと思ったりもしました。随分時間がかかって、係りの人が帰ってきました。ドアが開けられ、手の固縛も緩くしてくれました。そうすると隣の人が死んだらしく、坊さんか(神さん)が、祈りを挙げ、医者も順番に祈っていました。簡単な儀式?黒の帽子と白衣でなく黒灰の衣装を被った男子女子看護師達が儀式をします? 呉病院のオキマリなのか?

17日夜、男女の看護師達が、黒の帽子と白衣でなく黒灰の衣装?でした。昨日と同じ儀式らしいものをやり始める。今日も誰か死ぬのかなー。まさか、生死の境をうろついている私か? 地獄の一丁目で追い返された私ではないだろうと思ったりもしました。

私のチョンボ?故意ではないが、偶然か?看護婦を呼ぶスイッチを押しました。すると入口のドアが閉まり、明かりも少し暗くなりました。係りの人が飛んできました。「ベルを押したの?」「なんで?押したの?」「坊さんが来るよ!」「看護婦も来るよ?」(あなたも看護婦だろうと思ったりもしました)。が言わなかった。詰所に連絡を入れ、間違いを修正しました。どうもこのボタンで儀式の準備が入るらしい。普段はそうではないらしいのですが・・・・・



元旦のS桟橋からFバース


<看護婦さんに感謝!!>

・3階手術室の看護婦さんに感謝:手術後の私に「早く良くなって!」と思ってくれたり、弱っている私を励ましてくれました。泣く子もいました。そんだけ私がへたばっていたのだろー?

・5階病棟室の看護婦さんに感謝:5階病棟の看護婦達も「何でも言ってください」と・・・。呼び出すと直ぐ飛んできてくれました。19・20・21日と身体を拭いてくれました。若い21〜24頃の看護婦さんでも優しくしてくれました。感謝です!!



元旦のあれいカラス桟橋


<リハビリテーション>

「身体を動かすこと」が回復の一歩で、医師も「動かすことに努力してください」。
25歳の女子が手をつないで歩いてくれました。恋人同志みたいだなーと思いました。リハビリの計画を随分早めました。ラグビーの合宿を思い出し、「京大・東大・筑波(東京教育大)がなんだ」「慶応にも昨年度学生No1の法政大にも勝った」「長さんのランパス(ランニングパス)にも耐えた!」と思ったりしました。



<退院>
29日に退院しました。退院日の先生は「心臓1級です」「役所に行って用紙を記入して、病院に提出してください」身体障害者1級がもらえるとのことでした。



<身体障害者1級>
・JR:本人・介護者とも5割引
・バス:本人・介護者とも5割引
・有料道路通行料金:ETCカード(登録済)で割引。身体障害者手帳で割引もあり。
・自動車税:割引。今回は身体障害者手帳の申請が4月5日だったのでダメでした。4月1日以前だったら割引。来年はOK
NHK放送受信料:5割引き
・公共施設:本人・介護者とも割引(5月1日、松江城入場料二人で0円)
・所得税・住民税の控除:年末までに税務署に聞く?
・思いやり駐車場利用証:至るところで思いやり駐車場があり、利用証を掲示して駐車可能。

<重度心身障害者医療費受給者証>

・医療費:5月11日、呉国立を受診した際の呉国立の支払いは200円、薬代=0円。

<後期高齢者医療制度>

・74歳ですが、後期高齢者医療制度に入ることが義務されている。4月14日手続で後期高齢者医療保険に加入。



身体障害者診断書・意見書(心臓機能障害用・18歳以上)

氏名:松本●●            S18/04/12生(73歳)       男性

住所:広島県呉市阿賀北●●●●

@    障害名(部位を明記):心機能障害

A    原因となった疾病・外傷名:僧帽弁閉鎖不全症・三尖弁閉鎖不全症

B    疾病・外傷発生年月日:不詳

C    参考となる経過・現症(エックス線写真及び検査所見を含む)

心房中隔欠損孔閉鎖術後・三尖弁輪形成術後・メイズ手術後、心房細動、慢性心不全にて、内服治療していた。平成29年1月6日に、心不全増悪あり、当院へ入院し心不全治療とした。精査の結果、僧幅弁閉鎖不全症(重度)、三尖弁閉鎖不全症(重度)、肺高血圧症、心房細動、慢性心不全と診断

弁膜症増悪による心不全増悪に対して、本人・家族に手術治療について説明し、手術希望あり。

平成29年3月13日に入院し、3月15日に手術:1)僧帽弁置換術(Epic 31mm、前尖・後尖温存)、2)三尖弁形成術(TAP(MC3 30mm)+前尖形成処置)、3)左心耳閉鎖術を施行。術後は特に合併症なく良好に経過。

平成29年3月29日に、退院。

障害固定又は障害確定(推定)平成29年3月15日

D    総合所見

生涯にわたり、心臓弁置換術後治療・心不全治療を要する。

E    その他参考となる合併症状

 

上記のとおり診断する。併せて以下の意見を付す。

平成29年3月31日

 病院又は診療所の名称  独立行政法人国立病院機構 呉医療センター

 所  在  地     広島県呉市青山町3−1

 診療担当科名 心臓血管外科 医師氏名 高崎●● 印

 

身体障害者福祉法第15条第3項の意見【障害者程度等級についても参考意見を記入】

障害の程度は、身体障害者福祉法別表表に掲げる障害に

      ・該当する  (1級相当)

 



<老いては子に従え>


18〜19日:娘・息子・配偶者達・孫たちが見舞いに来てくれました。

 私たち何時までも呉にいることは・・・。
「老老介護よりも、若い人達に頼ること」息子の意見に従い、女房とともに呉を離れ千葉市に移移住することにしました。老いては息子に従うということです。

11月のとわ会が終了したら、千葉市に移ります。元旦の総監部や艦船の写真は今回で終わります。


                 呉特派員

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