近況レポート
 

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出石そば(兵庫県豊岡市) (H23.7.19)


出石城



出石城登城門


豊岡市出石町、山間の小国、城下町、地方豪族、但馬の守護であった山名氏(応仁の乱:西の総大将)の有子山(ありこやま)城があった。

それが、現在の出石城跡に繋がる。




豊岡は、赤穂浪士で有名な、大石内蔵助の奥方、大石りく(京極家の長女)さん出生地。

但馬国豊岡藩や、この出石藩があり、山陰(但馬の国)は、有力地方豪族が住み着いた盆地。


盆地の真ん中を円山川が流れ、玄武洞、城崎温泉に沿って日本海に注いでいる


山名氏城跡(有子山城跡:出石城)



出石の城下町の通り



城下町 出石


山側の峠(北東部)を越えると、丹後の宮津(天橋立が有名)。


出石の地に「そば」が持ち込まれたのは、信州上田から国替え(宝永三年、1706年)となった仙石氏(その後、江戸時代の一大事件、仙石騒動で、出石藩は、五万三千石から三万石に減封)がそば職人を連れてきたのが契機となっているようです。



三代目の辰鼓楼(時計台)



時計台(新辰鼓楼)


  



その後、出石焼き、白地の小皿に盛る様式となり、現在、約50軒ものそば屋があり、関西屈指のそば処として知られている。

一人前は5皿、ねぎ、山芋(とろろ)、生卵、わさびの薬味を添えれば、そばの味を更に引き上げる。

既に盛りつけてある小皿につゆをかけ、薬味を添えて頂くのが通、食べてみると、10皿は軽く食べられます。


出石六地蔵



  


出石そば「沢庵」



老舗のそば屋「そば庄」


食べた小皿を、脇に積み上げる。

小皿に残したおつゆを次の小皿に移しつつ、足りない時は、つゆを注ぎ足す。

もちろん、日本そばの食べ方と同様、出されている、つゆ入れに、そばを取り、浸けて食べても上手い。

小皿ごとに、つゆをかけた方が美味しく、風味あり、割り箸を立てた高さまで小皿を積み上げる(約16皿)と、満腹過ぎて、少し味がなくなる。



出石のそば屋


そばは手作り、少し細身に切られている。

毎日、打たれるそば、そのそば粉の産地が示されているので、贔屓のそば粉で打たれたそばを食べたい時は情報を得てから出向くと良い。

満腹になったところで、城下町の小道を訪ね歩く。


出石そばの由来



但馬牛の店


出石そば屋



城下小道から辰鼓楼が見える



桂小五郎の居住跡


土産物を見ながら、幕末に、京都から桂小五郎が隠れ住んだ屋敷跡、沢庵漬で有名な沢庵和尚が再興した宗鏡寺(すきょうじ)、時計台の役目を果たした辰鼓楼(しんころう)等を見て、お城へ。



桂小五郎の潜でいた屋敷跡



喉が少し渇く、お城の近くに、隠れ家の様な洒落た喫茶店、入ってみると、店内の高いところに、江戸時代の籠が一丁置かれ、壁には、黒田清輝の「湖畔」(女性画)がある。

なかなかどうして、文化度もある。この店の名:風空土吹路(当て字:フクロウ)、と名付けられている。



沢庵和尚が再興した「宗鏡寺」
・・・代々の出石城主の菩提寺


出石のそば(信州上田から伝来)
  



沢庵さんの禅寺


人間も、昼間であるが、たまには、じっと何かを見つめ、思考している梟の様に、じっと過ごせ!と暗示しているのかも知れない。


そば屋の近くに但馬牛のお店有り、但馬牛の勢い、今や、隔世の感あり、但馬の国も変わりつつある。


           岡本



円山川


円山川



月を撮ったのですが!


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