近況レポート
 

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シルクロードの旅 (H30.7.3)


車窓から見る山脈


シルクロードとは、中国と地中海世界の間の歴史的な交易路を指す呼称、とりわけ、トルファン盆地の北側に約100kmにわたって連なる山脈、火焔山は、気温40度を超えると、赤いシワ状の山肌が陽炎で炎の様に揺らめく、シルクロードの最大の難所として知られている。

西遊記の三蔵法師が立ち寄ったところ、ここトルファンは、天山山脈の雪解け水で潤う都市。盆地中央に位置し、5〜7世紀に漢族が高昌国をつくり遊牧民族と闘いを繰り広げた所。その面影は何も感じられない。

カレーズ(井戸と井戸をつないで地下に水を通す施設)を利用するオアシス都市があり、楽園でもあり、葡萄溝と呼ばれる渓谷につながるブドウ畑があり、古くからブドウが栽培されている。見事なものである。
冬季にはブドウの弦(枝等)は土を掘り、土の中に埋めて、格納し、春を待つとの事、先人の知恵は素晴らしい。



カレーズを利用した見事なブドウ棚


砂漠の中の旅、漢代に匈奴の動きなどを伝達するために日干し煉瓦でつくられた烽火台が見られる。
この烽火台で烽火(狼煙)を下げるとき、狼の糞を燃やすときのみ、烽火の煙が、風に負けずに真っすぐに立ち上ったそうである(ガイドさんの説明)。だから狼煙と言うのか?



砂漠の中の烽火台



高速鉄道(中国の新幹線)


敦煌の洞窟壁画を見て、玉門間へ。西へつながる重要な関所跡。漢民族と異民族が対峙する西域攻防の最前線だった。現在は、約25km四方、高さ約10kmの城壁が残されている。中国の広大さをこのあたりで感じた。高速鉄道での移動、バスでの移動、いずれも砂漠の中、遠くに天山山脈、赤い禿山、緑が少し見えると、ほっとする。

風力発電の風車が限りなく続いているのを見ると、何か、人類が自然へ浸食しているのを感じる。いたるところで、高層アパートが建設されつつあるが、住人はいない。農村部の人達は一か所に居住させられ、そこから農耕地へ出て行くようになるのだろう。都心を離れた平野部では、どこでも、工事車両が行き交い、改革改造工事が進められている。経済発展の推進力は、山間部まで大きく進んでいる。



ラクダに乗ることができます。有料!



灼熱の砂漠



シルクロードのすずめ


海のシルクロード、中国の南から海に乗り出し、東シナ海、南シナ海、インド洋を経てインド、さらにアラビア半島へ至る海路が後年できて、陸のシルロードが諸国の戦争でしばしば中断を余儀なくされた時、大いに活路の場となった。
しかし、荒天や海賊の出没があり、安定した交易路とは言えなかったらしい。制海権を確保するため、元のフビライ・ハーンは遠征軍を送った(元寇の役)。



ラクダが集まり、休息中



玉門間の関帝廟、横浜中華街の方が豪華ですね


シルクロードの旅、郷土料理はすべて油炒め、あまり口に合わず、スイカ、メロン、ブドウはとても美味しかった。ビールは、青島ビールが冷たく元気を沸かせてくれました。少々の下痢と水に留意の旅でした。添乗員さんの持参した「ふりかけ」をご飯の上に振りかけて食べた車昼食の弁当が最高のものでした。
日本の海、緑、素晴らしい空気を再確認しています。

           岡本

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