近況レポート
 

目次

前ページ

次ページ

帆船日本丸ドック(横浜第1号ドック)見学 (H31.1.12)


入渠した帆船日本丸



第一ドックの扉、向こうは、横浜港


横浜みなとみらい21地区に係留されている帆船日本丸のドック(乾船渠;横須賀に続き、日本で第2番目に建設されたドック)を見学しました。見れば、変哲もないのですが、それなりに楽しみました。結構マニヤが多くて、抽選でしたが、幸運にも見学できました。

陸岸の一部(現在の、みなとみらい21地区)を長方形に開削し、そこの周囲をセメントで固め、その上が石で固められています。
石は、真鶴方面から運ばれてきた花崗岩、安山岩で、イギリス人技師H.Sパーマーの設計で全長168メートルです。



ドック内に投げ込まれていた、ラジオ、時計、ビール瓶等



ドックの石囲み、少し水が滲んでいる


明治32年開渠式、交際都市化と共に、船の大型化する艦船修理に貢献、「ハマのドック(後に、三菱重工業横浜造船所)」と愛称されたようです。
第1次大戦中には、新造船事業も始められ、横浜市内の大工場でした。昭和57年閉渠までの間、LPG船ブリジストン丸から最終船ヴィヴィエンなど数千隻の修理がされました。

ドックの底の盤木の上に船を真っすぐに載せて、船底調査修理、この作業はかなりの熟練者が作業に当たり、上下盤木作業(盤木調整)、艦船修理代金では最も高価な費用となるものです。



盤木に乗った日本丸



船尾から見たプロペラ、Dry Dockの様子


日本丸の外板はリベットで繋がれていましたが、現在では、リベット打ちの職人がいないので、再生不能だそうです。鉄板は、溶接のみの時代になっているのを感じました。ちなみに、「記念艦三笠」の外板(鉄板)はリベットばかりで固められています。
あいにく、小雪が舞う寒い日でしたが、久しぶりにヘルメットをかぶり、軍手をはめてのドック見学、海上自衛隊、護衛艦の艦船修理の立会を思いだしました。


帆船日本丸は、静かに大都市横浜のドック内で化粧直しを始めていました。ドックアウトは3月下旬です。早春には、海の白鳥(愛称)がすばらしい春を呼んでくれることでしょう!

                岡本




みなとみらい博物館、帆船日本丸等の資料館、日本丸のすぐ横に位置する


  目次 TOP 前ページ